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聖霊降臨節第2主日礼拝説教要旨「イエス・キリスト 神の子 救い主」

  • masuda4422020
  • 2021年6月4日
  • 読了時間: 2分

ペンテコステの翌週は「三位一体主日」と呼ばれる主日です。キリスト教の中心的な教義の一つとも言われる「三位一体」ですが日本は多神教という考えが文化の中にありますので、神さまが三人いると言われても違和感がありません。しかし決してそのような文脈で解釈されることではなく「聖書の神以外に神はいない」ということです。当たり前のことのように感じるものですが、時として「聖書の神以外に神はいない」と告白できなくなる時もあります。

マタイによる福音書11章でイエスは、神の意思が上層の人々や教養のある人たちにではなく、逆に「幼子」が神の意思を認識すると言われています。11章の議論というのは当時のファリサイ派の人たちによる律法の過剰な解釈、上層の人しか守ることのできない重荷があったということに対して、イエスが向き合っています。そして人間と神の関係を説明しながら、自らを父の子、神の子であると説明するのです。当時はローマ帝国による支配が行われていましたが、当時のローマ皇帝は「神の子」と呼ばれ神格化されていました。聖書の神を信じていながら、自分たちを支配する神の子と呼ばれる皇帝をどのように捉えるべきなのか混乱があったことでしょう。しかしイエスはキリストこそが神の子であると語られたのです。律法解釈は人間を神の様に支配することはできませんし、人間が神になることはできないということがここには書かれています。

日本でも人間が神格化された時代がありました。帝国憲法では天皇が神聖な存在とされ、戦争の勝利により国の勢いが増すと、「それは天皇の恩恵と現されました(土肥昭夫『キリスト教会と天皇制 歴史家の視点から考える〈新教新書272〉』2012年)」。このようなイデオロギーに教会が同調していくという事態も起こり、「愛国心と忠誠の表現」とされた神社参拝も行われました。聖書の神以外に神はいないと告白することに困難があった時代でありました。時代が変わり私たちが生きる社会は、神を追い求めるのではなく経済的な豊かさが過剰に求められるような社会です。私たちは何によって生きているのでしょうか。自由な思想、神の国を求める人間の集まりの中に神さまの恵みがあることを祈りたいと思うのです。


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