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masuda4422020

2021年6月13日礼拝式説教要旨「地の塩になる者」

マタイによる福音書 5章13~16節 桝田翔希


 本日は子どもの日・花の日とされる主日です。社会の中で育まれるこどもたちを覚えるとともに、豊かに咲く自然の恵みに感謝いたします。また、この日にあって尼崎教会の宣教の中で地域のために創立されたみどり野保育園の創立も覚えます。尼崎に新たな住宅地が立てられるという計画の中で「みどり野保育園」が創立され、キリスト教に基づいた教育活動が40年以上にわたり続けられてきました。多くのこどもが集まる現場にあって、気をもむこと、くわえてコロナ下にあっては大変なご苦労があると思います。しかし、競争社会と呼ばれる今日にあって、一人一人を大切にするキリスト教に基づく実践の大切さを改めて思わされます。

 マタイによる福音書5章13~16節は山上の説教と呼ばれる個所の聖句で、イエスの後を多くの群衆がついてきたという場面です。その人たちを見ながらイエスは弟子たちに「地の塩世の光」と語りかけます。「塩」というものについて現代に生きる私たちは様々な効能を知っています。防腐・味付けをはじめ、人体にナトリウムは欠かせない物質です。塩は科学的な考えが広がる以前の古来より重宝され、神聖なものとも考えられることがありました。また、畜産においても大切で、山羊や羊は草だけを食べるのではなく、岩塩をなめることによって栄養のバランスをとるのだそうです。「地の塩」と言われる時、私たちは何とかして世の中の役に立つ存在になりたいと願うものです。しかし、塩には厄介な一面もあります。摂取しすぎると体に悪いものですし、土に混じれば塩害が起こります。「畑に混じれば塩害のもとだが、荒れ地の野山羊が舐めに来る、善くも悪しくも土の中の塩くれ(山浦玄嗣『ガリラヤのイエシュー』2011年)」ともいえる文化的背景があったのかもしれません。

 イエスの後をついてきた人たちは、おそらく経済的な豊かさにある人たちではありませんでした。「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。(5:3~4)」と語る必要のあった人たちでした。成人ではなく、善い部分も悪い部分もある普通の人間でした。一方では防腐・味付けの様に役に立ちながら、畑に紛れ込むこともあったのです。私たちは様々な評価基準で他人を判断します。世の中の役に立つかどうか、経済的に有効かどうかという指標が重要視されています。しかし、私たち、そしてこどもたちはけっして「経済動物」ではないのです。イエスは地の塩と語りつつ、世の光なのだと語られました。この世の現実の中で生きる命は他人の評価によらずとも世の光なのです。子どもの日にあって、一人一人を大切にするということを大切にしたいと思います。うまくいかないことの方が多い世の中ですが、神さまが育ててくださる命を大切に受け止めるものでありたいと思います。

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