2021年6月6日説教要旨「神のパラダイム」
- masuda4422020
- 2021年6月5日
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マタイによる福音書3章1~6節
この箇所ではイエスに先立って活動していた「洗礼者ヨハネ」の活動が記録されています。ヨハネとイエスには共通点が多く、「悔い改めよ。天の国は近づいた(2節)」とヨハネは語りますが、同様のことをイエスも語ります。また、ヨハネは当時の律法主義的な在り方について異を唱えていますし、最後には政治権力により殺されてしまいました。
イエスとヨハネが語った「悔い改めよ。天の国は近づいた」との知らせはどのような意味があったのでしょうか。「悔い改め」という日本語はあまり良い意味で使われるものではありませんので、この言葉を見ると何か大きな転換を迫られているように感じられます。しかし「悔い改め」とは原語のギリシャ語で「視点を変える」というような意味もある言葉です。そして「天の国」という言葉は字面通りに「国」を示すのではなく、「神さまが人を幸せに招くために取り仕切ってくださること(山浦玄嗣『ガリラヤのイエシュー 日本語訳新約聖書四福音』2011年)」、すなわち「神さまのお取り仕切り」を指しています。過剰な律法主義の追及により、負いきれない重荷が課せられるような時代にあって、「悔い改めよ。天の国は近づいた」との言葉は叱咤するものではなく、上流階級ではない人たちにとって希望の言葉として語られたものでした。このことはヨハネがファリサイ派の人たちを叱咤する場面により、強調されています。
『病と障害と、傍らにあった本』2020年という書籍の中で、川口有美子という方が自身の母親がALSという難病にかかったことを知り、海外生活を終え日本に帰り介護をすることを決心した時のことが書かれていました。「もう迷うことない、生きよう 勇気が言葉になって出た」と書いてありました。私たちは日々の生活の中で様々な転換点を経験します。時に180度の変化と思えることもあり、不安を覚えてしまいます。そのような時に、勇気と希望が与えられると信じたいものです。ヨハネとイエスはファリサイ派の人たちなどを批判し、重荷を負わされた人たちに声を掛けました。それはさらなる重荷を負わせるものではなく、また民衆のそれまでの生活を叱咤するものではありませんでした。そのままで迷うことはない、苦しみの視点から神の支配がはじまるのだという希望が「悔い改めよ。天の国は近づいた」との言葉にはあるのではないでしょうか。
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