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2025年4月20日 復活節第1主日礼拝説教要旨「ギャングの楽園」

  • masuda4422020
  • 2025年5月3日
  • 読了時間: 2分


桝田翔希牧師

ルカによる福音書23章39~43節

 

イースターという出来事は、長い時間を経て「きょう」まで人間に大きな問いかけをするものです。神学者のC. S. ソンは十字架の物語について、「社会的、政治的、経済的、文化的、かつ宗教的に抑圧され、搾取され、不利益な処遇を受け、周辺に追いやられた人々(C. S. ソン『イエス 十字架につけられた民衆』1995年、p.341)」との関連を指摘します。十字架の物語に、私たちがこの世の生活の中で忘れてしまったり知らないふりをしている、苦しみや辛さに十字架の出来事が深く関係しているということです。

イエスの十字架の両脇には、罪人が同じように磔にされていました。一人は群衆と同じように、「自分自身を救ってみろ」とイエスをののしります。しかしもう一人はこれをたしなめて、「この方は何も悪いことをしていない。(41節)」ということを言います。これは、一人の罪人が、自分ではなく他者であるイエスに目を向けたということです。そしてここで描かれているイエスの姿というのは、罪人と共に死ぬ神の姿であり、その中で一人の罪人はイエスを信じたのです。

アメリカにあるトリニティ合同教会の牧師であるオーティス牧師のある説教について触れておられました。その説教は「ギャングスタズ パラダイス」というタイトルで、「旧約聖書に登場するアブラハム、ヤコブ、ダビデらは、決して清く正しかったわけではなく、むしろ神の意志に背いて反道徳的なことを行ったthug(悪党)(山下壮起『ヒップホップ・レザレクション ラップ・ミュージックとキリスト教』2019年、p.197)」であり、神は「行いで判断せずに、むしろ内側に秘めた自分を変えたいという思いを大切にされる」と語ります。イエスに「思い出してほしい(remember)」という願いの中身は「社会から切り離された存在である自分を、再び(re)天国にいる人々の一員(member)として受け入れてほしいという(山下壮起、2019年、p.198)」願いなのです。世の中にはさまざまな犯罪がありますが、その中には貧しさの故にされること、食べることができずにされることもあります。自分だって安心した場所で眠り、生活したかった。そのような叫びが十字架に響いているのではないでしょうか。その叫びの中で、イエスは楽園を約束されるのです。

 
 
 

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