マルコによる福音書 6章14~29節 桝田翔希牧師
7月上旬とは思えない暑さですが、電力不足ということが言われ少しエアコンを使うのにも悩むこの頃ですが、命の危険を感じるような暑さです。電力不足は火力発電所の老朽化などによって起こっているようですが、長い目で見ればわかっていたことのようにも感じました。政治としてはここ数年、様々な政策が行われながら私たちの生活は消費税やガソリン代、物価が上がり、あまり楽になったという実感がわかないものではないでしょうか。もう少し何とかならないものかと思ったりしますが、政治というものはそんなに簡単なものではないということなのだと思います。火力発電所ひとつで70万世帯の電力を供給できるそうですが、70万世帯という数字は普段の生活であまり触れるものではありません。わかりにくい大きな力に私たちは包まれているということなのだと思います。
聖書はイエスの先駆者ともいえる、洗礼者ヨハネの死を記録しています。これは、イエスが十字架で政治的に処刑された、ということにも呼応する出来事です。なぜここで処刑されたのかと言いますと、ヨハネはヘロデ王の結婚が旧約聖書では異邦にあたるということを指摘したということが原因でした。しかしヘロデは逮捕しておきながら、ヨハネの偉大さを理解する部分もあり処罰に悩んでいました。そして大勢の交換や有力者がいる場所で、後に引けなくなって結果としてヨハネを殺してしまいました。政治的なやり取りの中で不意に行われた死刑でした。
ナチスドイツの恐怖政治が浸透し始めた1940年に、オットー・ハンペルとエリーゼ・ハンペルの二人は、反ナチスを呼び掛けるメッセージをハガキに書き公共の場所に置き続けました。300枚近くのハガキが書かれたそうですが、ほとんどは当局に発見され回収されていました。そして反逆罪に問われて死刑にされてしまいました。この二人を題材に書かれた小説には、「こんな馬鹿なことのために命を落とすのは残念じゃないのか?(堅田香緒里『生きるためのフェミニズム パンとバラと反資本主義』2021年、p.118)」というセリフがあるのだそうです。ハガキを書くという当たり前のことが、政治的に見て罪とされ命を奪われたのです。私たちが生きるこの世界は、戦争があり格差があり、どうしようもない無力感を覚えます。しかし、そのような日々を変えることは「そんな馬鹿なこと」と言われることから始まるのかもしれません。
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