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masuda4422020

2022年5月22日説教要旨「神の業の場所」

先日出先でコンビニを探そうとした時、スマートフォンが無かったので闇雲に歩いてえらく回り道をしてしまいました。気になることや分からないことがあっても、スマートフォンで調べれば事足りる世の中ですが、どこかで自分は万能に誤解してしまっていたように感じました。スマートフォンが無ければ、コンビニまでの道のりもわからない小さな存在であります。

本日の聖書箇所はヨハネによる福音書で、最後の晩餐に続く訣別の説教の一部分です。イエスが十字架に引き渡される、夜の暗闇の場面です。ここでは「真の霊」がイエスがいなくなってからも、共同体を導くということが書かれています。この前の箇所では「弁護者」という言葉が使われています。この言葉は新約聖書の中では5回しか使われないもので、そのうちの4回がヨハネによる福音書14章から16章に集中しています。「助け主」や「助っ人」とも翻訳される言葉で、人格を持つ存在として書かれています。イエスを実際に見たことが無い人でも、真の霊/助っ人を通して、神の国が保障されているということが言えます。

知識豊富な現代にあって、人間は世の中の理の多くを知りました。しかし便利な世の中にあって、しばし生きづらさを感じることもあります。暗闇の中でどこに進めばよいのかわからない、そんな時もあります。釜ヶ崎におられる神父の本田哲郎さんはこのようなことを書いておられました。「活動家たちのイニシアティヴによって、こうしよう、ああしようと考え労働者を動員して、いろいろやったりするのですが、それは成功することもありますが、思うようにいかないことがよくある。しかし、労働者たちの二人、三人が言い出して、だんだんとその声が頻繁に聞こえるようになり、そして活動家たちもそれをしっかりと受けとめて、(…中略…)やっていくと、だいたいいい線をいく(本田哲郎『聖書を発見する』2010年、p.152)」私たちの力はそもそもどこにあるのかと考えた時、私たちの中に既にあって、神さまの力というのは「助け主/助っ人」のように働かれ、弱さの中でそれが完成していくということなのではないでしょうか。

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