ルカによる福音書 2章1~20節 桝田翔希牧師
今年も新型コロナの流行下でクリスマスを祝うこととなりました。第8波の到来が報道されつつも、ワクチンの普及などのせいもあってか少し危機感が薄れているようにも思います。コロナやワクチンということについて、多くの人が経験した事柄ですが、これほどまでに「すべての人・みんな」が経験するような事柄は珍しいことではないでしょうか。ワクチンということで言えば、打つということがなかば当たり前のようになっています。政府のサイトを見ますとワクチンの接種率が出ており80%ということでした。「みんな」が打っているような風潮がありますが、様々な事情を抱える20%の存在を忘れてはいけないのではないかと思います。私たちはコロナを通して、ふたつの「全体的」なことを経験したと言えるのではないかと思います。ひとつはコロナのように人間が抗うことのできない自然のこと、もうひとつはワクチンのように政策として恣意的に行われる「全体的」なことです。
マリアがイエスを生んだ時の様子を、ルカによる福音書は「羊飼いたちの訪問」と併せて伝えました。この時マリアは「住民登録」のために、住み慣れた家を離れてベツレヘムを訪れていました。この住民登録はこの時最初に行われたものとされていますが、行われた目的はおそらく効率的に税金を徴収する為であったと考えられます。ローマによる支配を受けていたイスラエルで、重税によるさらなる負担がここでは強調されているということです。恣意的な全体的なことがここでは行われています。そして一方で、羊飼いたちは天使たちの知らせを聞き生まれたばかりのイエスを訪ねました。これは人間を越えた天使の力によって起こされた全体的なことでした。住民登録というたくさんの人たちを巻き込んだ流れの中で、誰もが経験する誕生という出来事が起こったのです。
住民登録という大きな思惑の中で、イエスの誕生は起こりました。そして、豪華な屋敷ではなく、汚れた飼い葉おけにイエスは寝かされました。決して人間の思い通りに事が運んだわけではありませんでした。羊飼いたちが祝ったのは、政治的に素晴らしい赤子ではなく、見た目の素晴らしい誕生の姿でもありませんでした。そうではなく、人間として力を持たない赤子のイエスをただ祝福したのです。クリスマスを祝う時、私たちはこの命を祝っているのです。そしてこの命は私たちも同様に持っている人としての命です。クリスマスを祝うことは、お互いの命を祝うということでもあるのではないでしょうか。
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