2025年5月4日説教要旨「昔話に聞く」
- masuda4422020
- 5月3日
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マタイによる福音書 12章38~42節 桝田翔希牧師
釜ヶ崎は大昔、海に面していたという話があります。地形の変化や埋め立てなどで、今は海から遠く離れた土地ですが、「釜ヶ崎」という地名そのものが、昔は海に面していたという証拠で、他にも近辺には「浜」や「舟」など水に関わる地名が多く残されています。3.11の津波があった際、地域に古くから残る石碑や伝承に大昔の津波の記憶が隠されているということが言われたことがありました。昔の話は真意を忘れられることがよくありますが、昔話の真意を考えることや現代にどう新たに解釈するかを考えることは大切なことだと思います。
ファリサイ派の人々は、ベルゼブル論争で満足することができず、さらに律法学者も加わってイエスに対して「しるし」を要求します。神からつかわされた救い主である証明を見せてみろということです。イエスは旧約聖書のヨナの物語を引き合いに出して、現代にしるしは与えられないと語ります。ヨナの物語でニネベの町が「時」の変化の兆しを知り悔い改めたように、時代の流れの中で新しい意図を変化しながら見つけるということが大切なのかもしれません。
聖書は長い時間をかけ、多くの人が関わって編集されているので、様々な考えや背景があります。元々どのような意図で書かれたのか、今日にあっては分からないものも多くあります。私たちは昔の物語を新たに読み直すということもします。ノアの洪水物語について考えると、バビロンにも似たような話があります。バビロンの洪水物語では、洪水の原因が自然が神格化した神々の気まぐれで起こったとします。科学的に考えれば、自然は人間に予想できないので、現代的な考えとも重なります。しかし、旧約聖書で洪水の原因は人間の中に悪がはこびったというように考えています。これはバビロンと比較すると、古代ユダヤ人が倫理的問題としてこの物語を読み直したということになります。私たちは聖書にある物語を様々な角度、読み方で見ていく必要があるのだと思います。イエスがヨナの物語を引用していますが、一つの物語には一つの読み方しかないというわけではありません。今日的な状況でどのように聖書を読むのかという問いかけ、ニネベの町が兆しを見たように、私たちはどのように兆しを感じるのかということなのではないでしょうか。
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