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2025年3月9日説教要旨「いのちに向かう知恵」

  • masuda4422020
  • 2025年5月3日
  • 読了時間: 2分

ルカによる福音書 12章13~21節 桝田翔希牧師


昨年から米の供給が不安定なことや価格高騰が止まらず、不安な日々が続いています。政府は備蓄米の21万トンの放出を決めましたが、膨大な量の米の所在が分からなくなっています。この数十年、食べ物が無くなることなど日本では考えられないことでしたが、そのようなことが現実になるかもしれない危機感が漂っています。このような状況で、よく耳にする噂話のひとつに「外国人が米をため込んでいる」というものがあります。どこに行ったか誰もわからない状況で、このような噂話はヘイトスピーチとも言えるものです。困った状況になったとき、誰かを根拠なく批判するのではなく、少なくとも共に生きようとして協力できる者でありたいと思います。

ルカによる福音書の「愚かな金持ちのたとえ」は、禁欲的な性格の強いキリスト教の歴史も相まって、富を独占しない解釈がされてきました。しかし、このたとえ話を詳しく読むと、単なる金持ち批判ではないことも読み解くことができます。「畑」と訳される言葉は「地域」を指すような単語であり、この人がそれほどに広大な土地で農業をする地主であるということがわかります。また「取り上げられる(20節)」という部分は、神が三人称複数形で語っており、取り上げる実行者は神ではないことが描写されています。恐らく、地主から搾取された労働者による暴動が想定されているとも考えられます。また、命を奪う神というイメージは、恐怖で人を支配することになるので避けられてきたイメージでもあります。

この箇所について聖書学者の山口里子さんは「知恵なる神の預言者イエス」というイメージを解釈することができると説明しておられます。知恵の神の姿は「全ての命を慈しみ育む神(山口里子『イエスの譬え話1』2018年、p.156)」であり、貧しさに耳を傾ける神として聖書に書かれています。このイエスによるたとえ話は、困った状況で暴力による状況打破を進めるのではなく、苦しい生活の中でどうにかして、共に生きる方法を考えること、を促しているのではないでしょうか。

 
 
 

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