ヨハネによる福音書 10章22~30節 桝田翔希牧師
ヨハネによる福音書 10章22~30節 桝田翔希牧師
厚生労働省の発表では、精神に関する外来患者は年々増加しているそうで、15年間で1.5倍となったというデータがありました。外見ではわからないしんどさは、なかなか共感されず、また命を落とす場合もあります。心の問題は命の問題なのです。暑い日が続き体の健康にも気を付けたいですが、心も大切に過ごしたいものです。
ヨハネによる福音書10章22節からの箇所では、「ユダヤ人、イエスを拒絶する」というタイトルで、ユダヤ人とイエスの最終的な決裂の場面が描かれています。このことがイエスを十字架につける直接的な原因となっていったわけですが、その理由はイエスが自分を神と同一であると語ったことでした。三位一体という考えの中で言えばおかしなことではありませんが、ユダヤ教徒からすれば唯一神教という考えの中で、許すことのできないことでした。またこの時期はハヌカーというお祭りの時期であったとなっていますが、このお祭りは他の神が崇められていた神殿が、再び神のみを礼拝する場所になったことを祝うものでもありました。季節も相極まって、イエスの発言を許すことができなかったのです。イエスは永遠の命をここでも語りますが、次第にイエスは殺される道のりを進むこととなりました。イエスを殺そうとまで思ったユダヤ人の心境は、現代日本に住んでいると理解しがたいものでもあります。
これまで言語化されていなかったような差別が、実は「受け手の精神的なエネルギーを奪い、自尊心を低め(デラルド・ウィン・スー『日常生活に埋め込まれたマイクロアグレッション――人種、ジェンダー、性的指向:マイノリティに向けられる無意識の差別』2020年、p.49)」命のエネルギーが奪われていく」という指摘があります。発言者からは些細なことに思えても、度重なる攻撃は徐々に被差別者の命を削るのです。「差別は命の問題」と言えます。時に社会の中で、「それぐらいのこと」と片付けられてしまう中に、命を削る事柄が多くあります。そのような場所に、神の業が既に働いているということを信じ、その神の働きに加わるものでありたいと思うのです。
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