top of page

2024年8月25日説教要旨「命の光」

  • masuda4422020
  • 2024年8月24日
  • 読了時間: 2分

ヨハネによる福音書 8章12~20節 桝田翔希牧師


イエスは世の光であり、肉によって裁くことはない存在ですが、この世を生きる私たちはしばし判断に困ることや、長い時間をかけて間違いであったと気づくことがあります。日本のキリスト教の歴史を見ると、戦後の長い間をかけて議論されていることもいくつかあります。その一つに「反万博闘争」があります。1970年の大阪万博にキリスト教館を出展するということをめぐり、万博の植民地主義思想などが議論されました。実際、万博の先駆け的な存在である内国勧業博覧会では、人類館というものがあり、生きた人間が展示されていました。景には植民地支配領域の拡大を内外に示そうとする意図があったと指摘されています。

イエスが世の光であるということは、聖書の中で繰り返される表現であります。出エジプトの物語で、逃げ出した人々を火の柱が導いたように、イエスは人間が生きる行く先を照らす光であります。しかし、イエスを批判するファリサイ派はイエスが神であることは理解できず、肉に従うだけであるとイエスから批判されることになりました。聖書の中で「世の光」という言葉は、イエスの物語を知っているのであまり無理なく受け入れる言葉だと思います。しかし、私たちは日常の生活でどのような光を求めているでしょうか。

1970年の大阪万博は「人類の進歩と調和」がテーマとされ、様々な新技術が披露されましたが、万博と並行して大きなプロジェクトがすすめられていました。「万国博覧会に原子の灯」という合言葉の元で、美浜原発が建設されたのです。この原発は日本でも最初期に建造されたものですが、表向きにはクリーンなエネルギーであり、「人類の進歩と調和」にはぴったりな発電所だったのでしょう。しかし、継続した運転で大量の被ばく労働者が必要とされることは、あまり表ざたにされませんでした。日本に原爆が落とされてわずか30年あまりで、このような場所がつくられたのです。日本が追い求めた「光」は「原子の灯」でありました。この灯は一部の労働者の健康が害されることが前提となっている「灯」なのです。人間を導こうとする世の光であるイエスは、少数を切り捨てる灯なのでしょうか。私たちが生きる社会はこの時代にあって、どのような輝き(光)を追い求めているのでしょうか。50年前から社会はどのように変わっているのでしょうか。

 
 
 

最新記事

すべて表示
2025年6月1日 復活節第7主日礼拝説教要旨「ここにはいない」

ルカによる福音書24章44~53節 ペンテコステは、言語や民族の違いを超えてキリスト教が広まっていったという出来事ですが、イエスが生きた時代のイスラエルはローマに支配されており、誰が仲間で同じ民族なのかということは大きな問題でした。「民族・国民(ネーション)」の問題が大きくあったのです。現代に生きる私たちは急速なグローバル化の中にあって、社会の変化を身近に感じるようになりました。私たちは「民族・国

 
 
 
2025年5月25日 復活節第6主日礼拝説教要旨「イエスの祈り」

マタイによる福音書6章1~15節 先日行われた教区総会では、上程された議案がすべて可決されましたが、法定議案の他に可決された大きなものとして教区互助に関連した新たな教区負担金の算定基準が2026年度から行われるということが可決されました。なぜこのような議案が出されたのかというと、支えあうということが教区として寄り集まる中では生命線であるという理解をしたからです。私たちの尼崎教会は会衆派の教会であり

 
 
 
2025年5月18日 復活節第5主日礼拝説教要旨「神が行う業」

ヨハネによる福音書14章1~11節 以前、釜ヶ崎にあるシェルターと呼ばれる施設を見学しました。シェルターとは臨時夜間緊急避難所とよばれるもので、野宿を余儀なくされる人々の寝る場所を用意するということを大阪市からの付託事業として行われています。多い時で1,000人が1日で利用していたそうですが、今でも200人ほどの利用が1日であるのだそうです。釜ヶ崎では野宿する人が減ったと言われていますが、実際

 
 
 

コメント


  • Facebook

©2021 by 日本基督教団 尼崎教会

bottom of page