top of page
masuda4422020

2024年7月7日説教要旨「裁かれない」

ヨハネによる福音書 5章19~36節 桝田翔希牧師


聖霊降臨節を迎え、この所は聖霊や三位一体ということに関係する聖書箇所がよく選ばれています。新約聖書は「イエスは神の特別な子ども」という意識をいくつかの箇所で持ち、特にヨハネによる福音書では「父-子関係が前面に染みわたって(A. E. マクグラス『神学のよろこび』2019年、p.157)」おり、神とイエスが同じ存在であるという意識があります。このことは、三位一体という考えで言えば難なく説明できますが、イエスがマリアから生まれた人の子であれば、少しおかしな表現でもあります。当時は「ヨセフの子」のように父親の名前を関連させて呼ぶということが一般的であり、その背景には家系が重んじられるということがありました。ユダヤの伝統的な系図ではなく、イエスが神の子であると告白するとき、「イエスは神の子である」という告白は、家系の問題や人種差別の問題につながるものではないでしょうか。

ベトサダの池で病人を癒したイエスは、その日が安息日であったのでユダヤ人と論争になります。聖書にはこの状況が「ユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとねらうようになった。イエスが安息日を破るだけでなく、神を御自分の父と呼んで、御自身を神と等しい者とされたからである。(18節)」と説明されています。ユダヤ教の考えとして神以外を尊敬するということはしてはいけないことであり、ましてや自分が神と同一であるという三位一体的な表明は到底受け入れられませんでした。私たちは三位一体という考えで見れば、このようなイエスの発言をすぐに受け入れることができます。しかし、それ以外にも意味があるように思うのです。血統を重んじ父の名前を通して個人が説明されることへのアンチテーゼも読み取ることができるのではないでしょうか。

現代においても人種差別や家系による差別で残酷に命が奪われる実情があり、一方では闘いの成果として一見すると差別が少なくなったように感じられることもありながら、「無意識的かつ意図的ではないバイアスこそが、周縁化された人々に圧倒的な困難を作り出している(D. W. スー『日常生活に埋め込まれたマイクロアグレッション』2022年、p.61)」こともあります。これは、知らないうちに埋め込まれたイメージによって一定の人たちに意図しない形でひどい発言がされている状況が多くあるという指摘です。T. W. ウォーカーは黒人霊歌について「たいていのアメリカ白人は、黒人には非西欧的ないかなる歴史的宗教、音楽、ないし文化もないと誤って考えている(T. W. ウォーカー『だれかが私の名を呼んでいる』1991年、p.16)」と指摘しました。差別の中で無価値にされる力があるのです。イエスは神の子であるという告白は、血縁や人種を超えて私たちが価値のある存在であることも説明しているのではないでしょうか。

閲覧数:22回0件のコメント

最新記事

すべて表示

2024年11月17日説教要旨「幸いである」

マタイによる福音書 5章3~8節 桝田翔希牧師 先日、能登半島地震・水害のボランティアに行きました。大きな震災から9か月後に水害が起こり、復興に向けて「がんばろう」と外に住む私たちはとても言えないような状況だと思います。よく神の導きを祈りながら、何とか自分たちや知り合いの人...

2024年11月10日説教要旨「マムシの子」

マタイによる福音書 3章7~12節 桝田翔希牧師 日本基督教団は英語で表記すると「The United Church of Christ in Japan」となります。この「ユナイテッド」という単語は「結ばれた、連合した」という意味の言葉ですが、ここには、誰によって結ばれた...

2024年10月20日説教要旨「イエスの祈り」

ヨハネによる福音書 17章13~26節 桝田翔希牧師 10月17日で尼崎教会は1896年の創立から128年を数えました。この間、多くの方々が尼崎教会に連なり、そして祈りの中であってこそ、128年を数えることができました。この128年を振り返る時、戦災や震災など多くの出来事が...

Yorumlar


bottom of page