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2024年5月19日説教要旨「いきるということ」

masuda4422020

ヨハネによる福音書 14章15~27節 桝田翔希牧師


ペンテコステを迎えましたが、この祝祭日は不安の中にあった人々に聖霊の力が降り、様々な国の言葉でみ言葉を伝えることができるようになったという物語であり、教会の誕生日ともいわれる日です。ペンテコステは聖霊が大きな存在を占める祝祭日ですが、三位一体という中で聖霊は非常に重要な位置にある存在です。私たち「個人」のこととして考えた時、聖霊によってどのような力を得ることができるでしょうか。

ヨハネによる福音書では、「弁護者(パラクレートス)」という用語が決別説教の箇所で集中的に用いられています。この箇所は、ペンテコステの出来事をヨハネ共同体が自分たちの解釈を行い、その思いを文字として残していったのであろうということが考えられます。この福音書の執筆の意図として「最終編集者はそのような事態を何とか食い止めようとしているよう(小林稔 大貫隆『〈新約聖書Ⅲ〉ヨハネ文書』1995年、p.147)」であるということも考えられています。ヨハネ共同体がペンテコステの出来事を自分たちの問題意識の中で解釈しようとしたとき、どのような力を聖霊に臨んでいたのでしょうか。

聖霊にどのような力があるのか考えてみるとき、私自身は個人的なことばかり望んでいることに気づきました。現代は個人の人権が保障されていますが、一方で個人主義に偏りがちであるとの指摘もあります。そして社会の問題も個人の問題へとされていきます。「労働市場で『活躍』し、市場に多くのカネを落とすという意味で、社会の『役に立つ』とみなされればマイノリティも積極的に包摂するが、『能力』の『活用』を拒否する『怠け者』や貧乏人は、『役に立たない』とみなされ徹底的に排除(堅田香緒里『生きるためのフェミニズム パンとバラの反資本主義』2021年、p.29)」されていくという姿もあります。世の中の流れの中で聖霊についても個人的なものとして捉えがちではないかと思います。聖霊を語るヨハネ共同体や、ペンテコステを経験した人たちは「共同体の危機」の中にありました。しかし、聖霊によって人々の間に風が吹き、再びともに立ち上がろうとしたのです。個人主義の押し付けの中で、人々が「活躍」するのではなく「活用」され「排除」される現代にあって、私たちは聖霊にどのような力を望んでいるでしょうか。

 
 
 

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