top of page
masuda4422020

2024年5月12日説教要旨「至ることのできない場所」

ヨハネによる福音書 7章32~39節 桝田翔希牧師


特効薬が開発されたわけでもなく、今でもコロナの流行は続いていることも報道されています。コロナ下は終わったような意識になりそうですが、実情としては忘れられているだけのような気もします。コロナによって引き起こされた「わざわい」に私たちはしっかりと向き合えているのだろうかと思います。コロナ下が始まった2020年の自殺者数は、統計上でその前と比べて912人の増加で、この数は年々増え2023年でようやく前年比から63人の減少となりました。また「新型コロナウイルスは、人間を平等にするのではなく、不平等をより拡大していく災厄にほかならない(『縁食論‐孤食と共食のあいだ』2020年、p.173)」ということも考えられます。よく報道されたことの後の状況や、忘れ去られていくようなことがあるということも、コロナという「わざわい」には含まれているということを想像することは大切だと思います。

ヨハネによる福音書7章では、イエスを逮捕しようと神殿で働く「下役(神殿警備員)」がやってきます。ここでイエスは「①今しばらく、わたしはあなたたちと共にいる。それから、自分をお遣わしになった方のもとへ帰る。(33節)」と「②あなたたちは、わたしを捜しても、見つけることがない。わたしのいる所に、あなたたちは来ることができない。(34節)」ということを語ります。このことを聞いた神殿警備員は②にだけ反応し、イエスが昇天するということではなく、外国に住むユダヤ人のところに行くというように勘違いをします。エルサレムという宗教と文化の中心地でイエスの考えはそぐわないが、外国に住むユダヤ人には受け入れられるのではないかという安易な発想があるようにも考えられます。

コロナに関するコメントの中に「仕事を選ばず働けばいい。(中略)もっと自分でできることを探したら?(『縁食論‐孤食と共食のあいだ』2020年、p.170)」というものがあったのだそうです。転職や引っ越しはとてつもないエネルギーが必要であり、仕事が選べないという状況があることも少し想像すればわかります。コロナ下にあって、多くの人がそれぞれのしんどさを経験しつつ、その余裕のなさの中で他者への想像力を奪われたということも「わざわい」の一つかもしれません。その中に、神殿警備員がした勘違いをする姿と重なる部分があるのではないでしょうか。イエスがさらされた批判の一つはそのような想像力を除いた考えであったのです。

閲覧数:20回0件のコメント

最新記事

すべて表示

2024年11月17日説教要旨「幸いである」

マタイによる福音書 5章3~8節 桝田翔希牧師 先日、能登半島地震・水害のボランティアに行きました。大きな震災から9か月後に水害が起こり、復興に向けて「がんばろう」と外に住む私たちはとても言えないような状況だと思います。よく神の導きを祈りながら、何とか自分たちや知り合いの人...

2024年11月10日説教要旨「マムシの子」

マタイによる福音書 3章7~12節 桝田翔希牧師 日本基督教団は英語で表記すると「The United Church of Christ in Japan」となります。この「ユナイテッド」という単語は「結ばれた、連合した」という意味の言葉ですが、ここには、誰によって結ばれた...

2024年10月20日説教要旨「イエスの祈り」

ヨハネによる福音書 17章13~26節 桝田翔希牧師 10月17日で尼崎教会は1896年の創立から128年を数えました。この間、多くの方々が尼崎教会に連なり、そして祈りの中であってこそ、128年を数えることができました。この128年を振り返る時、戦災や震災など多くの出来事が...

留言


bottom of page