top of page

2024年4月28日説教要旨「もう巻き込まれている」

  • masuda4422020
  • 2024年4月27日
  • 読了時間: 2分

ヨハネによる福音書 15章18~27節 桝田翔希牧師


教会の活動は、政教分離と言われる日本にありながら、様々な世俗的な影響もうけています。宗教活動は非課税ということがあり、優遇されながら社会と切り離された場所に存在するようにも感じられますが、この世の法律を全く無視して活動できるわけではありません。むしろこの世のことと積極的に向き合うということが求められているようにも思います。

ヨハネによる福音書の15章では「イエスはまことのぶどうの木」という物語があり、ここにはキリスト者が愛の内にキリストとつながっているということが、ブドウの木になぞらえて語られています。その後の個所が今回のテキストになっています。今回の個所は、「愛のつながり」とは対照的で、「(この世と神の世の)対立」が書かれています。「この世」という単語はヨハネによる福音書のほかの個所でも用いられる言葉ですが、「敵対」というイメージを重ねて使われることが多い単語です。ヨハネによる福音書を書いた共同体の中には、教会とこの世の分断という課題が大きくあったのだと思います。そのような状況にあって、この箇所の結びは「証しをする(27節)」としています。

「この世」と「教会」の関係を考えた時、相容れないものを感じながら、時には悪影響を受けている場合もあります。キリスト教の言説の中で、「ポストコロニアル」という言葉が頻繁に使われています。これは植民地主義的・帝国主義的な思想を批判する考えですが、キリスト教の中にはそのような考えが多く含まれているということです。この世から全く関係ないのがキリスト教ではなく、「文化的・歴史的真空のなかで経験を解釈するのではなく、『神学的知識が社会とは切り離せない』(黒木雅子他『混在するめぐみ ポストコロニアル時代の宗教とフェミニズム』2004年、p.109)」のです。この世と教会の対比を見ることは、教義の純粋性ということを探すのではなく、「自分たちの人間性の主張を力づける生命の力(同上、p.117)」を探すこと、そのことを語ることが聖書を通して証しをするということなのではないでしょうか。

 
 
 

最新記事

すべて表示
2025年6月1日 復活節第7主日礼拝説教要旨「ここにはいない」

ルカによる福音書24章44~53節 ペンテコステは、言語や民族の違いを超えてキリスト教が広まっていったという出来事ですが、イエスが生きた時代のイスラエルはローマに支配されており、誰が仲間で同じ民族なのかということは大きな問題でした。「民族・国民(ネーション)」の問題が大きくあったのです。現代に生きる私たちは急速なグローバル化の中にあって、社会の変化を身近に感じるようになりました。私たちは「民族・国

 
 
 
2025年5月25日 復活節第6主日礼拝説教要旨「イエスの祈り」

マタイによる福音書6章1~15節 先日行われた教区総会では、上程された議案がすべて可決されましたが、法定議案の他に可決された大きなものとして教区互助に関連した新たな教区負担金の算定基準が2026年度から行われるということが可決されました。なぜこのような議案が出されたのかというと、支えあうということが教区として寄り集まる中では生命線であるという理解をしたからです。私たちの尼崎教会は会衆派の教会であり

 
 
 
2025年5月18日 復活節第5主日礼拝説教要旨「神が行う業」

ヨハネによる福音書14章1~11節 以前、釜ヶ崎にあるシェルターと呼ばれる施設を見学しました。シェルターとは臨時夜間緊急避難所とよばれるもので、野宿を余儀なくされる人々の寝る場所を用意するということを大阪市からの付託事業として行われています。多い時で1,000人が1日で利用していたそうですが、今でも200人ほどの利用が1日であるのだそうです。釜ヶ崎では野宿する人が減ったと言われていますが、実際

 
 
 

コメント


  • Facebook

©2021 by 日本基督教団 尼崎教会

bottom of page