ヨハネによる福音書 21章1~14節 桝田翔希牧師
4月になり春らしい季節となりましたが、寒暖の差が激しく異常気象を思わせる時が続いています。レントの時に咲くと言われるクリスマスローズも、だいぶ早くから咲いていました。しかし、サクラが咲いたり緑が青々とする自然を感じながら新年度を迎えるこの季節はどこか初々しい気持になります。春に花が咲くということは、生物学的に言えば気温などの関係で開花を促す植物ホルモンが分泌されるということなのでしょうが、長い歴史の中で時にはずれることのある自然のリズムを人間は感じて生きてきました。年度の始まりにあたり、またここから始めるというように気持ちを新たに歩みだしたいと思います。
ヨハネによる福音書でトマスたちの前に復活のイエスが現れたという記事の後に、ティベリアス湖畔の物語があります。編集史的に見れば、別にあった物語が付加されたとも考えることができる箇所です。そのように考えると、復活のイエスに直接会わなかった弟子たちの物語であったのかもしれません。ここで弟子たちはティベリアス湖(ガリラヤ湖の別名)で漁をしていました。自分たちがイエスに従う前に生活をしていた場所で、以前の仕事をしていたのです。弟子たちが都会のエルサレムにとどまるという選択肢はほぼなかったことでしょう。処刑されたイエスの仲間とばれれば殺される可能性もあったでしょうし、何より生きていくためにお金を稼ぐ必要もありました。弟子たちは生活基盤のあるガリラヤに帰り漁をしていたのです。イエスを裏切ったという失望の中でも、時間は過ぎ、食事をしなくてはいけません。一人が「わたしは漁に行く(3節)」と言うと、他の人たちは議論することもなく一緒に行ったということが書かれています。弟子たちにとって、今日から生きていくためにそうする他ないのです。しかし何も捕れなかったのでした。
私たちは教会での生活を送りながら、生活をするための仕事や用事をしています。キリスト教が社会の大部分を占めているわけではない日本という土地にあって、日常生活はキリスト教と離れたものとなることもあります。しかし、弟子たちが今日を生きるために働いたその場所でイエスがいたように、私たちの何でもない日常にイエスが関わられるのです。時には自然から神の恵みを感じることもありながら、時には分かりにくく、気づいた弟子が急いで湖に飛び込むように唐突に訪れるのだと思います。
クリスマスローズという名前だったのですね。綺麗な花だなぁ〜何の花だろうと思っていました💐