top of page

2024年3月31日説教要旨「復活を仰ぎ」

  • masuda4422020
  • 2024年3月30日
  • 読了時間: 2分

ヨハネによる福音書 20章1~18節 桝田翔希牧師


イエスの復活を祝うイースターの日を迎えました。この日は春の時に行われ、冬から気温が暖かくなる時期ですので、気分も高まるものですが、イースターという行事にはどことなく暗い雰囲気が立ち込めています。復活の前には十字架があるのであり、それは残酷で暴力的な処刑であり、それを前に弟子たちは裏切り逃げ出していきました。このことは弟子たちの心に大きなうしろめたさを残したのではないかと思います。イースターは復活を祝い喜ぶ日ですが、十字架にかけられた金曜日と復活が起こった日曜日の間には「いつ終わるとも知れないくらい土曜日(榎本空『それで君の声はどこにあるんだ?』2022年、p.66)」があるのです。「十字架が復活に先立つのであり、その順序は決して逆さにしてはならない。(「福音と世界」2024年4月号、榎本空“アスペンの黒人神学者”、p.38)」のです。無印に祝うのではなく、苦しみと絶望を経たイースターを私たちは祝っているのです。

ヨハネによる福音書は、他の福音書とは違いマリアが一人で墓に赴いたとしますが、結末は同じで、そこに遺体はありませんでした。この記事でマリアは「イエスをどこに置いたのか」と3度も質問をします。これは私たちにも向けられた問いであり、私たちがこの社会に生きてどこにイエスを探すのかということでもあります。遺体を探してもなく、途方に暮れ涙の後に、マリアは振り返ったところでイエスと出会う(16節)のでした。

私たちはイースターを祝いながら、今の時代は復活までの物語になぞらえた時に何曜日と思うことができるでしょうか。苦しみの只中にある金曜日なのか、どうなるのかわからない不安と絶望の土曜日なのか、喜びにあふれる日曜日なのか、どのような状況を生きているでしょうか。苦しみだけではなく、絶望だけでもない、しかし、喜びだけでもない世の中を生きています。これと同じようにイースターは喜びだけに注目する比ではないと思うのです。しかし、絶望の中にふり返った場所にイエスがいたと、聖書は語るのです。この希望の中で人々は再び立ち上がっていったのです。

 
 
 

最新記事

すべて表示
2025年4月20日 復活節第1主日礼拝説教要旨「ギャングの楽園」

桝田翔希牧師 ルカによる福音書23章39~43節   イースターという出来事は、長い時間を経て「きょう」まで人間に大きな問いかけをするものです。神学者のC. S. ソンは十字架の物語について、「社会的、政治的、経済的、文化的、かつ宗教的に抑圧され、搾取され、不利益な処遇を受...

 
 
 
2025年5月4日説教要旨「昔話に聞く」

マタイによる福音書 12章38~42節 桝田翔希牧師 釜ヶ崎は大昔、海に面していたという話があります。地形の変化や埋め立てなどで、今は海から遠く離れた土地ですが、「釜ヶ崎」という地名そのものが、昔は海に面していたという証拠で、他にも近辺には「浜」や「舟」など水に関わる地名が...

 
 
 
2025年4月27日説教要旨「真実の形」

マタイによる福音書 28章11~15節 桝田翔希牧師 イースターという出来事は、長い時間を経て「きょう」まで人間に大きな問いかけをするものです。神学者のC. S. ソンは十字架の物語について、「社会的、政治的、経済的、文化的、かつ宗教的に抑圧され、搾取され、不利益な処遇を受...

 
 
 

コメント


  • Facebook

©2021 by 日本基督教団 尼崎教会

bottom of page