ヨハネによる福音書 6章1~15節 桝田翔希牧師
2月11日は教会では【信教の自由を守る日】としていますが、日本の祝日法では「建国記念の日」は「建国をしのび、国を愛する心を養う。」と説明されていますが、これは日本書紀に基づく初代天皇とされる人が即位した日と合わさっています。政教分離の原則がある日本においては特異な設定がされています。天皇ではなく聖書の神を信じる者の居場所は「建国記念の日」にあるのでしょうか。戦時下、日本基督教団は国家のために天皇崇拝をし、反戦を唱える人たちを排除し無視した歴史もあります。宗教が国家のために利用され、時に抹殺されたという歴史を忘れてはいけません。そして多様化が叫ばれる現代において、日本には様々な宗教背景を持つ人々が暮らしています。信仰の違いは尊敬をもって向き合わなければなりません。
ヨハネによる福音書で5000人の給食を伝えるこの箇所は、他の福音書と比べ群衆に対するイエスの心理的描写などはなく、いきなり弟子たちとの問答となります。病の癒しを見てついてきた群衆は、病を治す奇跡ではなく食事が増える奇跡を見ることになりました。よく考えると当初の目的と違うように思いますが、人々は満足したのでした。しかし、本当に人々は満足したのでしょうか。
イエスの後をついてきた人たちについて、聖書はほとんど説明せず、5000人と言うカウントも男性に限った限定的な数字でありました。私たちはイエスを探してついてきた人たちのことをどのようにイメージするでしょうか。聖書の書き方もそうなっている気がしますが、割と元気な人たちがついてきたイメージがあるのではないでしょうか。群衆に対して、もしくは野次馬のようなイメージがないでしょうか。しかし、息も絶え絶えで今日癒してもらわなかったら死んでしまうという人もいたのではないかと思うのです。5000人もいれば、みんなが一様であるはずもありません。また病の人が多くいたかもしれません。聖書を読むとき、弟子や群衆についてイエスの無理解ということが描かれることがよくあり、それを読む私たちはどこかで見下して、登場人物の姿をイメージしているのかもしれません。もしかしたら、ここに描かれている人々は、最後の力を振り絞って、心からイエスを信じた人たちであったのかもしれません。他者の宗教や信じる心を尊重しながら聖書を読むものでありたいと思います。
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