2024年12月8日説教要旨「神の業のあらわれ方」
- masuda4422020
- 2024年12月7日
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マタイによる福音書 13章53~58節 桝田翔希牧師
12月1日に釜ヶ崎の労働センターで野宿者の強制退去が執行されました。労働センターは労働対策として建てられたセンターで、大阪万博が行われた1970年に完成しました。当時、この時代は農業政策やエネルギー革命により、多くの失業者があり、職を求めて都市部への人口流入が増加しました。そのような、高度経済成長期に労働センターが建てられたのです。そのセンターが大阪万博を控えたこの時期に取り壊しのために完全に封鎖されました。2024年を迎え、AIの発達により私たちの生活の場にはロボットが多くつかわれるようになりました。労働の在り方が大きく変わろうとしている時代です。センターが建って封鎖された、1970年と2024年はどのような共通点があるのでしょうか。私たちが生きる今は、大きな時代の分かれ目なのではないでしょうか。
イエスは育った故郷であるナザレで、人びとから受け入れられず、「そこではあまり奇跡をなさらなかった。(58節)」とあります。ナザレの人々はイエスがどのように育ったのかを知っていて、その家族もよく知っていたからイエスを受け入れられませんでした。これは様々な解釈ができますが、自分たちと何ら変わらないイエスが、高尚なことが語れるはずがないということです。いわば、自分たちとイエスの「同質性」を見つけたからイエスを信じることができませんでした。クリスマスという祝祭日は、イエスが人として産まれられたことを祝っています。イエスが人であるという考えは「受肉」と言われ、キリスト教の中でも非常に重要な考えとされています。例えば、「キリストがただ神であるだけなら、その時彼は人間生活のどんな経験にとってもまったく無関係(A. E. マクグラス『神学のよろこび』2019年、p.180)」になってしまうのです。これは私たち人間と神であるイエスの間に「同質性」を見つける信仰だと言えます。
人の姿でベツレヘムに生まれたナザレで育ったイエスを知る時、クリスマスの物語は天においてではなく地上で行われた、イエスの生涯を通してあらわされた神の物語となります。そのナザレとは「闘争と希望の人間のドラマの世界として、愛と憎しみが凌ぎを削る共同体として、ナザレは、他の人間共同体と何ら違いはない(C. S. ソン『イエス 十字架につけられた民衆』1995年、p.44)」のです。私たちがクリスマスを祝う時、ナザレを超えてこの場所にも神の業が働いていると信じるということなのです。聖書の物語、クリスマスの出来事からどのような「同質性」を私たちの生活の場に見出すことができるのでしょうか。
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