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2024年12月1日説教要旨「今もまさにその時」

  • masuda4422020
  • 2024年11月30日
  • 読了時間: 2分

マタイによる福音書 24章36~44節 桝田翔希牧師


クリスマスに備えるアドヴェントの期間が始まりました。もう街中でもクリスマスソングが聞こえるようになっていますが、日本社会では12月25日を過ぎると一気にお正月ムードになり、飾りもBGMもガラリと変わります。しかし、クリスマスの期間は1月6日まで、というのが多くのキリスト教会で言われていることになっています。1月6日はエピファニーと呼ばれ、東方の賢者がイエスを訪ねた日と言われています。なぜこのような日が設定されているかというと、クリスマスをいつ祝うのかということについて、いつイエスが生まれたのか分からず、それぞれの設定でクリスマスが祝われ、12月25日と1月6日にクリスマスを祝う二つの組織ができてしまいました。日にちの設定ですり合わせがされましたがうまくいかず、期間としてクリスマスが祝われるようになりました。他者の考えも尊重するという姿勢が、1月6日までがクリスマスであるということの背景には地下茎のように現代に引き継がれているものがあるのです。

聖書日課で選ばれているこの箇所は、「小・黙示録」と呼ばれる箇所で、世界の終わりである終末や最後の審判が背景となっています。この事柄は初期キリスト教会にとって非常に重要なことでした。終末がもうすぐ来ると思っていたのに、全然来なかったからです。「終末遅延」という問題が、初期キリスト教会で非常に大きな課題となりました。その中で、終末にあってどのような人が裁かれるのか、マタイによる福音書は裁かれた人を「人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。(38節)」と説明します。道徳的に言えば何ら問題がありません。ここで語られているのは特別な悪人ではありません。

時代が変わって私たちは豊かと言われる社会で生きています。しかし、様々な歪があり、環境破壊があります。私たちの普通の生活は環境を壊し、神によってなされる終末より、環境破壊によっておこる世界の終焉の方が実感があります。救いとは何かと考えた時、人間の個人的なものではなく「共同体全体と共に、私たちを愛してくださる神の交わりに与ること(A. E. マクグラス『神学のよろこび』2019年、p.361)」と言えます。大きくなって組織的に管理される昨今にあって、クリスマスを期間として祝ったキリスト教の歴史は、「地下茎的(リゾーム的)」な姿があります。地下茎的に他者とつながりながら新たな未来を描くものでありたいと思うのです。

 
 
 

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