マタイによる福音書 5章3~8節 桝田翔希牧師
先日、能登半島地震・水害のボランティアに行きました。大きな震災から9か月後に水害が起こり、復興に向けて「がんばろう」と外に住む私たちはとても言えないような状況だと思います。よく神の導きを祈りながら、何とか自分たちや知り合いの人がうまくいくようにと願うことがあります。被災地では、一日も早く少しでも以前のような生活が戻るようにと多くの人が願っていたと思いますが、無情に思えるような災害が重ねて起こったのです。
マタイによる福音書で「心の貧しい人々は、幸いである」という文言は、聖書の中でもよく知られた言葉になるのではないかと思います。この言葉は「さまざまな病気や苦しみをかかえる人、悪霊につかれた人、発作になやまされる人、体が麻痺した人など、ぐあいをわるくしているあらゆる人(本田哲郎『釜ヶ崎と福音』2009年、p.99)」に向けて語られています。「幸い」と訳されたギリシャ語には「祝福」という意味もあり、「『そのままつきすすんでいいよ』という保証、元気づけ(本田2009年、p.100)」の意味があります。貧しかったり、様々な苦しみの中にあって、自分の思いや感情が間違っていると思えたり、自分の中に欠陥に思えるようなことがあって、このまま生きていていいのか不安になる時もあります。しかし、いかなる辛さや辛い境遇の中にあっても、神は祝福してくださるのだとイエスはここで語っているのです。
大きな災害などが起こったときに見られる特徴的なものとして、サバイバーズギルトと呼ばれるものがあります。震災や水害などで多くの人が命を落としたり、家屋の倒壊などを経験しながら、地域によっても被害の状況は一様でなく程度の差というものがあらわれます。そのような時に、自分は被害にあいながらも比較すれば軽微という時、我慢しなくてはいけないという気持ちが生まれることがあります。しかし、神はどんな生き方でも私たち人間を祝福してくださっているということを信じたいと思うのです。
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