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2024年10月20日説教要旨「イエスの祈り」

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ヨハネによる福音書 17章13~26節 桝田翔希牧師


10月17日で尼崎教会は1896年の創立から128年を数えました。この間、多くの方々が尼崎教会に連なり、そして祈りの中であってこそ、128年を数えることができました。この128年を振り返る時、戦災や震災など多くの出来事がありましたが、一般にも広く知られている事柄で「牧会権裁判」がありました。5年に及ぶ裁判は種谷牧師の無罪判決で終わりましたが、この時裁判所は教会教師の働きは日本国憲法の「信教の自由」に基づき、国家権力は「信教の自由を保障した憲法の趣旨に照らし、右牧会活動の前に踏み止まるべきものであった」としました。

ヨハネによる福音書17章からはイエスの祈りが書かれています。この世に残った弟子たちのために、神の言葉がこの世で守られるようにと祈られています。この箇所は、福音書の中ではヨハネによる福音書にしかなく、ヨハネによる福音書の著者がいた教会の状況を反映していると考えられます。推定される事柄としては、イエスの人間性を否定するなどで異端とされていったグノーシスの存在や、ローマ軍によるエルサレム陥落、そして戦争によって多くの人が殺されるか奴隷としてどこかに連れていかれたという記憶が生々しくあったと想像できます。イエスの人間性を否定するということは、三位一体という教義とも齟齬が出てくるわけですが、ここでも三位一体に関することが書かれています。三位一体という考えの中では様々なことが説明されますが、「神とイエスの関係性」というトピックがあります。ヨハネによる福音書では、信仰というものが「神とイエスの関係性を知る」というように理解されているということがあります。

牧会権裁判では国家と教会の「分離」ということが言われているわけですが、これは教会が「尊敬と期待を受ける[1]」ということでもあります。これは同時に教会が「ふさわしい責任が課せられる」ということであり、「尊敬と期待に応える」必要があるということでもあります。国家と教会は分離されながら、そのような関係性の中に置かれているのです。128年目の歩みを始める中で、この時代の中で私たちが社会とどのように関わり、どのような責任があるのかということに応えるものでありたいと思うのです。



[1] 種谷牧師裁判を支援する会『国家と良心』1975年、p.353

 
 
 

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