top of page
masuda4422020

2023年8月27日説教要旨「どこか他人事」

ルカによる福音書 14章1~6節 桝田翔希牧師


8月12日から15日にかけて開催される釜ヶ崎夏祭りに参加しようと予定していました。4日間の予定を開けていましたが、台風により12日と13日しか開催されませんでした。しかも、13日は夜に通り雨があり、びしょ濡れになってしまいました。雨上がりの夜空の下で釜ヶ崎を歩いていると、数年前に釜ヶ崎の夜回りに参加した時のことを思い出しました。その日も激しい雨が降っていて、屋根のある商店街でも水たまりができていました。商店街を歩いていると、先を歩いていたグループが止まって誰かを囲んでいました。野宿している人がいて大勢で囲むということはあまりしないので、嫌な予感がして直視しないようにしていました。しかし、通りすがる時に少し見てしまいました。おそらく野宿者ではない酔っ払いと思わしき人が倒れており、頭を打ったのか大量に出血していました。蒸した空気の商店街、水たまりは真っ赤に染まっていました。もし自分が最初に発見していたらどうしただろうと思いました。すぐに駆け寄って救急車は呼べたのか。おそらく立ちすくんでしまったと思います。見ず知らずの人を助けようとするとき、なぜか体が動かない、そのようなときはないでしょうか。

「安息日に水腫の人を癒す」と題された聖書箇所では、先週に引き続き労働が禁止される安息日に、イエスの癒しの業が行われます。イエスが律法違反者であるという証拠を集めようとしたのか、議員でもあったファリサイ派の人がイエスを食事会に招き律法学者も同席し、水腫を患う人もいました。想像ですが水腫を患う人はイエスを策略にはめるため、わざわざ連れてこられたのではないかと思います。つらい思いをしている病人が、思惑のために利用されているのです。癒しを行った後、イエスは「あなたたちの中に、自分の息子か牛が井戸に落ちたら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか。(5節)」と問います。これに誰も反論できませんでした。しかし、水腫を患う人はほおっておけたのです。他人はどうでもよいのです。

安息日を天地創造をもとに考えると、創造を終えた7日目、神が「休息」をとった日と解釈できます。一方で、安息日を守り続けた人々にとっては労働の「中断」とも解釈できるのではないでしょうか。労働の中ではどうしても様々な思惑が生まれ、富や地位のために策略が起こります。ファリサイ派の人は議員にまで上り詰めました。イエスを裁こうとする思惑は、ここで中断されているのです。一見して神に忠実に使えるように映るファリサイ派の人々も恣意的な思惑がありました。そのような思いが安息日に打ち砕かれるのです。私たちも日曜日に様々な用事を中断して集っています。それと同時に、様々な思いが打ち砕かれ、私たちも新たに召し出されているのです。

閲覧数:34回0件のコメント

最新記事

すべて表示

2024年11月17日説教要旨「幸いである」

マタイによる福音書 5章3~8節 桝田翔希牧師 先日、能登半島地震・水害のボランティアに行きました。大きな震災から9か月後に水害が起こり、復興に向けて「がんばろう」と外に住む私たちはとても言えないような状況だと思います。よく神の導きを祈りながら、何とか自分たちや知り合いの人...

2024年11月10日説教要旨「マムシの子」

マタイによる福音書 3章7~12節 桝田翔希牧師 日本基督教団は英語で表記すると「The United Church of Christ in Japan」となります。この「ユナイテッド」という単語は「結ばれた、連合した」という意味の言葉ですが、ここには、誰によって結ばれた...

2024年10月20日説教要旨「イエスの祈り」

ヨハネによる福音書 17章13~26節 桝田翔希牧師 10月17日で尼崎教会は1896年の創立から128年を数えました。この間、多くの方々が尼崎教会に連なり、そして祈りの中であってこそ、128年を数えることができました。この128年を振り返る時、戦災や震災など多くの出来事が...

Comments


bottom of page