ルカによる福音書 13章10~17節 桝田翔希牧師
日本における第二次世界大戦の終わりから、78年目の8月を迎えました。日本における戦争の歴史から学ぶことは多くありますが、他に世界の歴史からも知らされることが多くあります。ナチスドイツを主にして同盟国や協力者によってなされたホロコーストではおよそ10年間で600万人が虐殺されました。これを支えたのは「反ユダヤ思想」であったと言われています。遺伝子的に劣っているという誤った情報が、虐殺を正当化させました。しかし、このホロコーストは急に始まったのではありませんでした。国連のホームページでは「ホロコーストはガス室から始まったのでなく、少数者に対するヘイトスピーチから始まった。」と指摘されています。ナチス政権下で、国営放送は特定の民族に関する誤った情報を流布させたのですが、これは現代で言うところのヘイトスピーチがされたということです。ヘイトスピーチが次第に虐殺へと発展していったのです。差別の行き着く先に殺戮があり、身近なところに戦争の芽生えがあるのです。
ルカによる福音書13章10節では、腰の曲がった女性をイエスが安息日に癒す奇跡物語が書かれています。安息日とは労働が制限されるほどの特別な日で、この時にイエスが奇跡を行い、会堂長は憤慨しました。この女性はこれまでどのような境遇だったのでしょうか。日本語では「腰」と限定されていますが、原文では体の部位に言及はなく、曲がって伸ばせない、と書かれています。ここから現代的な病名を推測すると、パーキンソン病によるピサ症候群に背骨が前後や左右に曲がっていたり、小児まひで腕が曲がったままという状況も想像できます。腰が曲がったということだけではなく、歩くことや日常生活に使用が出る状況だったのではないでしょうか。歩きづらくても必死に、家族に連れられてか、礼拝にこの女性は訪れていたのです。当時の安息日は労働が禁止されながら、仕方のないことは一部容認されていました。家畜に餌をやることは許されていました。仕事をしてはいけないと言いながら、都合のいいことは容認される、二重基準があり憤慨した会堂長も自己矛盾を抱えていながらそこは不問にしました。いつもあっていた女性の病が治ったことも喜べず、隣人を人と見ることができなくなってしまったのです。支配のための考えはどんどん自分を矛盾の中に押し込めていきます。偏見がそのような在り方を正当化していくのです。
「ダブルバインド」という言葉があるのですが、これは「二つの矛盾したメッセージを出すことで、相手を混乱させる可能性のあるコミュニケーションのこと」で、例えば女性が職場でリーダーシップ力を発揮すると、正当に評価されず「いじわる」や「男っぽい女」という評価がされる様子を言います。矛盾した二つの基準が、支配思想によって形成されていくのです。戦争の始まりは普段の生活の何でもない行動なのかもしれません。少しの矛盾が人をないがしろにすることを正当化します。ヘイトスピーチが虐殺を不可視化しました。キリスト教でよくつかわれる言葉である、「家族」や「兄弟姉妹」という言葉は「ただむなしい言葉(『釜ヶ崎キリスト教協友会四十周年誌』2011年、ハインリッヒ・シュヌーゼンベルグ「福音の挑戦-釜ヶ崎から-」p.24)」になっているのではないかと思うことがあります。
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