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2023年4月9日説教要旨「ガリラヤにいる」

masuda4422020

ルカによる福音書 24章1~12節 桝田翔希牧師


イースターおめでとうございます。春の時期を迎え、新しい年度で生活も変わる季節を迎えていますが、円のように暦が回り一年の速さを感じます。私たちはこの一年間、時にはつらいことも抱えながら、こうして再びイースターの主日に集められました。悲しい時や残酷な運命のさ中にいる時は、神の意思を信じることや理解することができない時もあります。しかし私たちは礼拝を通して、再び日常へと送り出されていくのです。イースターの十字架の出来事について、「贖罪」という言葉があります。キリスト教の中で大切な意味を持つ考えですが、十字架に関する議論をまとめて「贖罪」という言葉が使われだしたのは1526年のことだったそうです。十字架という神の出来事を「贖罪」と表現することができるまで、人間は多くの時間を必要としました。そして今日では多様な贖罪理解がなされています。

今回の聖書箇所はイエスが殺された金曜日から安息日を挟んで、日曜に女性たちがイエスを葬ろうとする場面から始まっています。福音書が重要視している十二弟子たちは怖くなって逃げてしまい、十字架を最後まで見届けたのはこの女性たちでした。この女性たちはいったいどんな人なのか、福音書は詳しく記していませんが「イエスと一緒にガリラヤから来た婦人たち(23:55)」とありますので、聖書にはその様子は書かれていませんが、イエスと旅を共にした人たちでありました。福音書記者も注目していなかったこの女性たちが、イエスの復活を最初に知ったのでした。この場面は、4つの福音書で共通して書かれていますが、詳細に一致している部分は意外と少なく、「空虚な墓」、「第1発見者としての女性」の2点だけです。私たちはこれらの記事から、実際に何があったのかということはほとんど確定することができません。実際に何があったのか、これは詳しくわかりませんが、復活という出来事が人間にとってどのような意味があるのかということはよくわかります。

どのような意味があったのか、何があったのか詳しくはわかりませんが、この後女性たちはイエスのことを語り、恐怖で逃げた弟子たちは再び帰ってきました。「イエスは十字架刑で殺されて確かに死んだ。けれども、今も確かに私たちと共に生きている(…略…)神はイエスを市の中から新しい生命の中に起こしてくださり、イエスの生き様が正しかったことを立証してくださった。(山口里子『新しい聖書の学び』2019年、p.140)」、そのような意味があるのがこの場面なのではないでしょうか。私たちは色々な経験をしながら、神の計画がわからない小さな存在です。贖罪という言葉を使えるようになるまでに多くの時間がかかりました。しかし、私たちも復活という出来事に集められ、再び送り出されていくのです。

 
 
 

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