top of page

2023年4月23日説教要旨「見ること」

  • masuda4422020
  • 2023年4月22日
  • 読了時間: 2分

ルカによる福音書 24章36~43節 桝田翔希牧師


イースターを経て、召天日からペンテコステへと続く期間を過ごしています。復活ということに関連してキリスト教の中で、多くの歴史や教義が形成されてきました。長い期間にわたりキリスト教の活動がされてきましたが、現代に生きる私たちは最終的な教義などを通じてキリスト教を「信じ」ています。私たちは日常生活で多くのことを学び、このことが行動に影響しています。意識的に学ぶことや、文化などの影響により無意識的に習得しているものもあります。キリスト教は地理的に言えばイスラエルに端を発する宗教ですが、日本の文化とはかなり異なった文化の中で形成されていきました。無意識的に理解できない・理解しきれないことも時にはあるのではないでしょうか。

エマオへの道のりで弟子の前にイエスが現れた後の場面で、エルサレムに弟子たちが集まってイエスの復活のことについて話していました。エマオへの途中でイエスの復活を信じたはずの人もいましたが、いざ目の前にイエスが現れると、幽霊ではないかという思いも湧き上がってきました。結果を知って読むと滑稽な姿です。しかし、槍で刺されて十字架で死んだ人が生き返るということは絶対にありえないことです。医学的・生物学的にあり得ないことが起こっており、疑った弟子たちの姿は何ら不思議なものではないのです。当たり前の情景があります。

偏見ということについて、被害者への有害さは説明するまでもありませんが、近年では加害者にも有害なことがあるということが指摘されています。偏見に対する加害者も「認知・情緒・行動」の面において不利益を被ると言われています。一例ですが、偏見のある社会にあって、抑圧者が偽の現実に生きることを可能とし(認知)、自らが差別者ではないかという恐怖の中を生きつつ(情緒)、差別を指摘されることを恐れ本当はもっと豊かな関係性で生きられるのに限定された人としか向き合うことができない(行動)という状況になります。弟子たちも、イエスは生き返らないという偏見に生きていたと思うと「認知・情緒・行動」の面で復活を信じることができませんでした。私たちは教義として復活を知っています。しかし、完全にわかりきっているというわけではなく、どこかに偏見をもって復活を知っているという状態にあるのかもしれません。

 
 
 

最新記事

すべて表示
2025年6月1日 復活節第7主日礼拝説教要旨「ここにはいない」

ルカによる福音書24章44~53節 ペンテコステは、言語や民族の違いを超えてキリスト教が広まっていったという出来事ですが、イエスが生きた時代のイスラエルはローマに支配されており、誰が仲間で同じ民族なのかということは大きな問題でした。「民族・国民(ネーション)」の問題が大きくあったのです。現代に生きる私たちは急速なグローバル化の中にあって、社会の変化を身近に感じるようになりました。私たちは「民族・国

 
 
 
2025年5月25日 復活節第6主日礼拝説教要旨「イエスの祈り」

マタイによる福音書6章1~15節 先日行われた教区総会では、上程された議案がすべて可決されましたが、法定議案の他に可決された大きなものとして教区互助に関連した新たな教区負担金の算定基準が2026年度から行われるということが可決されました。なぜこのような議案が出されたのかというと、支えあうということが教区として寄り集まる中では生命線であるという理解をしたからです。私たちの尼崎教会は会衆派の教会であり

 
 
 
2025年5月18日 復活節第5主日礼拝説教要旨「神が行う業」

ヨハネによる福音書14章1~11節 以前、釜ヶ崎にあるシェルターと呼ばれる施設を見学しました。シェルターとは臨時夜間緊急避難所とよばれるもので、野宿を余儀なくされる人々の寝る場所を用意するということを大阪市からの付託事業として行われています。多い時で1,000人が1日で利用していたそうですが、今でも200人ほどの利用が1日であるのだそうです。釜ヶ崎では野宿する人が減ったと言われていますが、実際

 
 
 

1件のコメント


satoko kanemoto
2023年4月22日

偏見というより疑いのように感じます。だから本気で信じる大切さがあると思います。

いいね!
  • Facebook

©2021 by 日本基督教団 尼崎教会

bottom of page