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masuda4422020

2023年3月26日説教要旨「民衆を恐れて」

ルカによる福音書 20章9~19節 桝田翔希牧師


冤罪であると長らく言われてきた「袴田事件」の再審が決まりました。この事件は無実を主張する一人の人が強盗殺人の容疑者として逮捕され、拷問に近い取り調べで自白を強要されたというものです。警察とは国家権力であり、密室で行われる取り調べは、日本において公開されておらず、何が行われているかはわかりません。そのような場所で冤罪が生み出されています。ここには圧倒的な上下関係を見ることができます。国家権力(警察)と市民という上下関係です。人間はみな平等である、とよく言われますが未だに差別がある世の中です。また他には、昨今パワーハラスメントというように、目には見えない上下関係の中でハラスメントや圧力があるということも指摘されています。私たちは平等を願いながらも、様々な力関係の中を生きています。

「ぶどう園と農夫のたとえ」では、経営者である「主人」が労働者である「農夫」を雇用し、管理を任せて旅に出ます(不在地主)。「農夫」とは自らの畑を持たない小作人であり、主人に逆らえば解雇される非常に弱い立場に立たされていました。主人と農夫は完全な上下の関係です。収穫を得るために主人は「僕(家臣)」を送りますが、農夫たちは暴力を与え収穫を渡しませんでした。暴力はエスカレートし、最後に送られてきた主人の息子をついに殺害してしまいました。このたとえ話は伝統的に、主人を「神」、僕を「預言者」、息子を「イエス」と解釈されてきました。イエスが十字架にかかるという場面を思い起こさせる聖書箇所です。

当時の慣習で、土地の所有者が不明確な場合、所有を申し出た人に公的な書類がなくても権利が譲渡されるというものがあり、息子が殺されたのは農夫が土地を自分のものにしようという思惑が考えられます。主人からしたら、僕に暴行が加えられ、その次に息子を送るならば殺される可能性も考えたはずです。しかし、息子は送られ殺されました。物語としては冷静に考えると、無理のあるものです。しかし、ここにイエスという人がどのような存在であったのかということを改めて問われているのだと思います。圧倒的な上下関係があるゆえに、苦境に立たされた農夫たちは武装蜂起をしました。生活の苦しさや暴力の連鎖があります。天上の存在ともいえるイエスは、上下関係において天上にとどまるのではなく、平等な人間として暴力の只中に降りられたのです。私たちは様々な上下関係の中を生きています。しかし、イエスの生き方を見る時、神の前に立つ一人の人間に過ぎないということ、そして責任を帯びる者であるということを気付かされます。

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