ヨハネによる福音書 6章51~59節 桝田翔希牧師
本日は恒例のバザーを迎えることができました。しかし、コロナ下を主にした影響で例年通りとは言えない状況が続いています。コロナ下にあっては多くのことが変わってきました。息苦しい生活の中で少しの解放感を感じながら、私たちはどのような未来を思い描くことができるのでしょうか。
ヨハネによる福音書、6章では聖餐式を背景としていると考えられる物語が書かれていますが、用語としては福音書の中で特異なものが使われています。従って、ヨハネによる福音書の中でも困難な部分と言われる箇所でもあります。理由としては聖餐式に関してこの箇所では「肉‐血」という言葉が使われていますが、聖書の中で一般的なのは「体‐血」でありました。小さな違いですが神学思想としては大きな違いとなるそうです。ここからは初期キリスト教会が聖餐やキリスト教思想そのものについて、多くの変遷があったということがわかります。また血を飲むということは旧約聖書の中で禁じられたことであり、全く新しい価値観でありました。
近年、キリスト教の用語として「クィア神学」というものが語られることが多くなり、日本でも盛んに研究がされるようになりました。「クィア」という単語は元々、「奇妙な、不思議な」という意味があるそうですが、1980年ごろまでは主に男性同性愛者にむけて使われる軽蔑語であり、強い差別語として使われた言葉でした。しかし、この「クィア」という言葉は差別に対抗する言葉として用いられはじめ、自らが「クィア」と名乗ることで世の中の差別的な姿を指摘されるようになりました。『クィア神学の挑戦』(2022年)という著書の中で、著者の工藤万里江さんは「クィア」という言葉について「主流社会の規範を強烈に問う立ち位置を示す用語(p.19)」と説明しておられました。「クィア神学」の研究者の一人のエリザベス・スチュアートは聖餐式(サクラメント)を「決定的な違いを持った拡大された反復(工藤万里江『クィア神学の挑戦』2022年、p.145)」と語りました。教会という場所は最後の晩餐を「決定的な違いを持った拡大された反復」して聖餐式を行ったように、新しい形を常に求め続けた場所であるといえるのではないでしょうか。
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