ルカによる福音書 19章11~27節 桝田翔希牧師
日本経済は不況が続いていますが(回復しているという話も聞きますが、個人的には実感できません)、教会の状況も十年先を考えると厳しいものがあります。牧師が教会だけで「働いて」収入を得ることが難しくなるだろうということは数年前からもよく言われたことでした。ということで、私も金儲けを考えてみました。一番簡単なのは不動産を転がすということを聞いたのですが、元手がないので現実的ではありませんでした。大資本さえあれば儲けられるのに、とも思いますが、私はそんな儲け話からは縁の遠いところで生きているのだと思います。
ムナの譬え話とされる聖書箇所は、ムナという単位が登場します。ムナという単位は100デナリオンと同等とされ、100日分の賃金ということになります。現代の価値にすると100万円ほどでしょうか。100万円を元手に商売をするように言われた人々は、1000万円稼いだり500万円稼いだりしますが、中には儲けを作ることができなかった人もいました。この物語は勤勉を勧める話として、資本主義経済の発展に役立ったとも言われます。しかし、イエスはどのような意味を込めてこの物語を語ったのでしょうか。イエスの後をついてきた人々は、100万円を元手に稼ぐと聞いてどのように理解したのでしょうか。当時は現代のような貨幣経済ではなく、自給自足的な生活も多くあったと思われます。
どのような意図があったのか、真意は今日にあっては確定することはできません。逆に、この物語を私たちがどのような前提をもって読んでいるのかということは、事実として問われていることです。大資本で儲けを得ようとする姿を前提として、この物語を私たちは読んでいるのではないでしょうか。この考え方は高度経済成長の考え方です。大きな資本を都市に集中させ、利益を生み出していく。高度経済成長期の結果として生産力や物流が発展し、生活水準は大きく上がったと言われています。高度経済成長が続くのであれば、都市(中央)にお金が集中するというシステムはよかったのかもしれません。しかし、不況になると地方(周縁)は切り捨てられ「地方は取り残され(藤村靖之『新装版 月3万円ビジネス』2020年、p.132)」ていくのです。「高度経済成長の代償(藤村靖之、同上)」は大きいのです。私たち一人一人が持つ力(資本)は小さいことでしょう。それを中央に集めれば何か大きいことができるのかもしれません。しかし、イエスが示した神の姿はそのような高度経済成長の神なのでしょうか。小さくても、私たち一人ひとりの力を活かしてくださる神なのではないでしょうか。大量生産大量消費ではない価値観が、世の中で受け入れられる日がもう少ししたらくることを望みつつ。
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