マルコによる福音書 12章28~34節 桝田翔希牧師
世間ではよく物事を二つに分ける「二分法」が見られます。例えば、戦争が起これば「共産主義と資本主義」の戦いというように、正義と悪がわかりやすく説明されます。しかし、二つにきれいに分けられるほど世の中は単純なわけではなく、様々な背景があることを忘れてはいけません。また、私たち自身も二分法の中で敵を作ってしまうということもあります。今起こっているウクライナでの戦争も、単純に理解することは難しいことだと思います。
マルコによる福音書12章28節からの部分では、イエスが律法学者に対して旧約聖書の中で「最も重要な掟」を教える部分です。聖書は分厚い本であり、すべてを読んでさらに理解するということは難しいことのように感じるものですので、「最も重要」と言われると魅力的に映る言葉です。イエスは二つの掟をここで語りました。「イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」と「隣人を自分のように愛しなさい。」というものでした。これはどちらも旧約聖書からの引用で、特に「イスラエルよ、聞け…」という聖句はユダヤ教の中で祈りの中で唱えられたり、祈りの道具の中にこの聖句が刻まれたりと、重要な聖句として普及していたものでした。ここでイエスの答えというのは奇をてらったものではなく、ユダヤ教の文脈の中でごく自然な返答です。律法学者を敵と決めつけてやり込めるのではなく、対話の中で律法学者はイエスに賛成する立場となりました。ここにあるイエスの姿勢は、分断や断罪ではないのです。
公民権運動の指導者であったキング牧師は、暗殺されるちょうど一年前の1967年4月4日に「ベトナムを越えて」という説教を語られました。ベトナム戦争は共産主義と資本主義の戦いと言われることがよくありますが、この戦争を念頭に置きキング牧師は「敵と呼ばれる兄弟の知恵から学び、そのことを通して成長(梶原寿 編『私には夢がある M・L・キング説教・講演集』2008年、p.171)」しなくてはいけないと語りました。「戦争は相違を克服するための正しい方法ではない(同上、p.178)」のです。私たちは二分法で敵を作ってしまうことがあります。しかし、イエスは安直な答えを言うのではなく、相手の立場から言葉を語られました。聖書は答えではなく、応えを私たちに与えてくれるのではないでしょうか。
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