使徒言行録2章1~11節 桝田翔希牧師
ペンテコステおめでとうございます。ペンテコステは聖霊の不思議な力に押し出され、弟子たちがさまざまな言語で語りだしたという物語で、教会の誕生日ともいえる日です。福音の言葉が言語や文化を超えて世界中に広められていく契機となりました。世界には多くの民族や文化がありますが、「日本は2千年、一つの民族」と発言した政治家もいましたが、日本も複数の民族が存在します。またグローバル化する現代にあっては、多くの方々が住むようになりました。「日本単一民族」という考えは、単なる思い込みに過ぎない時代となっています。
ペンテコステの出来事を伝える使徒言行録2章では、イエスの昇天後に120人もの人が一つの家に集まっていたと記しています。そこには弟子だけではなく、イエスの母や兄弟たちもいました。他には捕囚などによって国外に住まわざるを得ないユダヤ人たちもいました。ペンテコステの出来事が起こった場所は、イエスの昇天を経て不安な弟子たち、イエスを裏切った弟子たちのそばにはイエスの家族がいて、他にはエルサレムの巡礼に遠くから来た人たちもいる、混沌とした状況でありました。その只中に、聖霊による風が吹き炎のような舌によってそれぞれの地域の言語が語られだしました。
グローバル化が進む今日にあって、「差異を認めること(差異の承認)」ということが重要視されているのだそうです。すなわち「人が多様性を持つ存在であること、すなわち、差異を受け入れること(キム・ジヘ『差別はたいてい悪意のない人がする』2022年、p.194
)」であり、「『中立性』で隠蔽された排除と抑圧のメカニズムに挑む(キム・ジヘ、2022年、p.195)」ということです。日本は島国であり、「均質」な国家であると誤解してしまうことがありますが、様々な背景を持つ人が暮らしています。「均質化」のなかで適合できない人は排除されてしまう現状もあります。ペンテコステの出来事は、「皆が一つの言葉を理解した」のではなく「皆がぞれぞれの言葉を理解した」という出来事です。均質化ではなく、差異を大切にする聖霊の働きがあるのではないでしょうか。多様性が叫ばれる今日にあって、私たちはペンテコステの出来事をどのように捉えることができるでしょうか。
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