マルコによる福音書 1章29~39節 桝田翔希牧師
先日、出張で温泉宿に2泊した時、思いのほかに疲れが取れました。近年、日本は「ストレス」という言葉が頻繁に聞かれるようになり、ストレス軽減は流行していることだと思います。最近ヤクルトの「Y1000」という商品がストレス軽減や睡眠改善に効果があるとされ、大人気となりスーパーでは連日売り切れとなっています。それでも宅配サービスでは購入可能だったのですが、最近ではそれも品薄となり新規契約が一時停止となっているそうです。かくいう私も一時停止になる少し前に契約することができて、定期購入をしています。薬ではないので、そんなにすぐに効果が出るというわけでもないのですが、しばらく続けてみようかなと思っています。しかし、よくよく考えると2~3日休んで温泉に入っている方がストレス軽減になるのではないかとも思います。
今回の聖書箇所ではイエスに依る治癒奇跡が報告され、「治癒者としてのイエス」が色濃く表れている箇所と言えます。イエスがシモンの家を訪れた時、しゅうとめは熱を出して寝込んでいました。しかし、イエスによって奇跡が起こり、たちまち熱は治り一同はおもてなされました。「おもてなす(仕える)」とはこの場面では、治癒奇跡が完了したことの証明となっています。これを受けて、多くの人たちが癒しを求めてイエスのもとを訪れました。おそらくイエスはあわただしい一日を過ごされたのだと思います。翌朝早く、疲れていたことでしょうがイエスは一人で起きて離れた所にわざわざ行って祈っておられました。疲れや忙しいということとは別の次元に、祈りが位置付けられているということです。しかし、この祈りはシモンによって中断されました。「そんなことをしている場合ではない」という人間の思いによって分断されるかのような状況です。
この聖書箇所でほとんどイエスは言葉を発していないので、どこまでがイエスの本心であったのかということはよくよく考えないといけないのではないでしょうか。しゅうとめが寝込んでいても、誰かほかの人が一行をもてなすということは可能だったのではないでしょうか。また直前まで熱で寝込んでいたのであれば、治ったとはいえ少しばかり休ませてほしいものでもあります。イエス自身も祈る時間さえ与えられませんでした。悪霊の力によって病が引き起こされるという考えがあった当時にあって、イエスの治癒奇跡は単なる治療行為ではなく、「非人間化をもたらす力」への抵抗という意味がありました。現代に生きる私たちは、時間に追われて生きる場面がよくあります。ここにも「非人間化をもたらす力」があるのではないでしょうか。2~3日休んで温泉に入っている時間さえも難しいものです。イエスの治癒奇跡の根幹にあったものは何かという問いは、現代の私たちにも向かっているのではないでしょうか。
Комментарии