ヨハネによる福音書 20章19~31節 桝田翔希牧師
イースターの翌週にあって教団暦では【労働聖日】を迎えました。この日は教団の中にあった「職域伝道委員会」の呼びかけにより定められたものです。職域伝道とは職域での布教活動が行われる中で、様々な労働の現場に向き合う中で労働環境や労働問題に取り組む活動もされました。日本には日雇い労働者と求人業者が集まる「寄せ場」と呼ばれる場所があります。企業からすれば必要な時だけ雇用すればよいので、「経済の安全弁」として利用されました。職が無い状態やけがの保証はされませんでした。時には求職を仲介する手配師と呼ばれる人たちが介入することが多い時代もあり、賃金のピンハネや契約内容に対する抗議を抹殺するということもされました。時にはリンチが行われたこともありましたが、警察は手配師ではなく労働者を取り締まりました。これに対抗して山谷では「金町戦争」、釜ヶ崎でも暴動がおこり共闘して手配師が追放されていきました。国家は守らず、「安全弁」とされても労働者の人間として持つ力を奪うことはできなかったのです。
イエスの十字架での無残な死を前にした弟子たちは、自らも捕まる恐怖の中で家の戸を閉めて集まって隠れていました。そこに復活のイエスが現れ、恐怖は希望へと変えられました。しかし、弟子のトマスはこの場面に遭うことが出来ませんでした。トマスは12弟子の中でもほとんど発言が記録されておらず、無口なあまり目立たない弟子と言えます。トマスは頑なになり、実際に見るまで信じないと言い張りました。しかし、イエスはトマスに痛々しい傷跡をさらけ出されたのです。そしてトマスは「わたしの主、わたしの神よ」と信仰告白の核ともいえる告白をしました。目立たなかったトマスが、大きな場面の証人とされていったのです。集まっておびえるしかなかった弟子たちは、失ったと錯覚した力を取り戻していきました。
釜ヶ崎で長く牧会をされた金井愛明牧師は釜ヶ崎に関する講演の中で、釜ヶ崎が「死の街」と呼ばれることを批判的に紹介し、「手配師を追放したり、条件闘争をしたり、暴力利権を取り返すといった形の権利要求のたたかいがつづけられ(釜ヶ崎キリスト教協友会『釜ヶ崎キリスト教協友会40年誌』2011年、p.17)」たことは、「死の街と呼ばれた街のエネルギー」であると語られました。「死の街」と呼ばれて失われる尊厳があり、経済搾取の現場で労働者が使い捨てにされる。しかし、人間の持つ力(エネルギー)は奪われていなかったのです。私たちもこの世の様々な状況の中で、力なく運命に翻弄されると感じる時はないでしょうか。弟子たちもただただ集まっておびえていました。力を忘れてしまう状況です。しかしイエスは弟子たちを新しい人間として送り出されました。私たちもイースターの恵みの中で、新たな人にされつつ、この力(エネルギー)を再確認する時でありたいと思います。
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