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2022年3月13日説教要旨「新しい家族」

  • masuda4422020
  • 2022年3月12日
  • 読了時間: 2分

ウクライナに関する報道が続いていますが、遠く離れた場所であること、また個人的には家族がいたりといった「ゆかり」がないので遠い国の出来事と感じてしまう気がしました。簡単な理由で人間の想像力は失われていくのだと思います。しかし「血縁」などの「ゆかり」があれば、全く話は違ったのだと思います。

本日の聖書箇所は「ベルゼブル論争」と呼ばれる箇所ですが、マルコがよく用いる文章構成である「サンドイッチ方式」が現れている箇所で、21節から30節は中身の部分で、両側にイエスの身内(家族)に関する記事があります。ベルゼブルという言葉の由来はよくわからないのですが、福音書の他の箇所では「家の主人(マタイ10:25)」というイメージが重ねられたサタンとして描かれています。サンドイッチの構造の中に、「家」や「血縁」というイメージが込められていると解釈ができます。ここで「家族」はどのように書かれているでしょうか。本来休息の場所でもある「家」がベルゼブルに支配されたならば、休息の場所ではなくなってしまいます。一方で心配してやってきた身内に対してイエスは、突き放すような発言をしていますが、この場所をカファルナウムとするならばナザレからは直線距離で30kmもあり、その距離を歩いてでもイエスを引き戻そうという「家族の温かさ」があります。しかしイエスは血縁に拠るのではない「新しい家族」を示しているのです。

家族の暖かなイメージは時に悪用されることがあります。「日本のかなりの数の政治家たちは、戦前も戦中も戦後も、家族が大事、家庭が安定すれば国も安定する、と言い続けている(藤原辰史『縁食論-孤食と共食のあいだ』2020年、p.50)」ということを忘れてはいけません。すなわち社会の不具合が政府の責任ではなく、家族の絆や母親の愛情などに責任を転換させているということです。この場合、「家」は休息の場所であると同時に、国家に貢献するための労働力を養う工場のようになってしまうのです。「家族絶対主義」で家は、性別分業制を背景に「労働力再生装置(藤原辰史、同上p.52)」となるのです。教会は「家族である」とよく言われます。この新しい家族を私たちはどのようにとらえているでしょうか。血縁に拠るのではない、利用されるのでもない、全く新しい価値観をイエスは示しておられるのではないでしょうか。これは遠く離れた土地での出来事を、想像する力なのです。

 
 
 

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