マルコによる福音書 4章35~41節 桝田翔希牧師
コロナが続き外出することも少なくなり、体を動かす機会が減りました。個人的には昔から運動は苦手で思ったように体が動かないのですが、最近は運動不足のせいかより体が動かなくなってきました。体をコントロールするのは難しいなぁと思います。
イエスが湖で突風を静めるというこの箇所は、夕方になってからイエスに先導された弟子たちが湖に舟を進めます。暗くなりだした頃に舟が沈みそうになるわけですが、私たちはそのような経験はあまりなくどのような状況化はよくわからない部分もありますが、弟子たちは恐れ叫んでいました。弟子たちの中には漁師もいましたから、大げさに反応したというわけではなく、大変な事態であったのだと思います。舟はコントロールを失い、イエスは沈黙という状況で、弟子たちは叫びをあげるのです。これは人間がコントロールできない自然を前にした苦痛の叫びでもあります。
現代に生きる私たちも「コントロールできないもの」には恐れを抱きます。現代で人間は多くのものをコントロールの元に置くことに成功しました。私たちが食べる食材も、管理され生産・出荷されます。インクジェットのプリンターは1ピコリットル(目薬一滴の5000万分の一の量)のインクを制御しているのだそうです。食べる動物を指して「畜生」という言葉がありますが、これは江戸時代から普及された言葉だそうで、「人の力でたやすく統制できない力を持った生き物という感覚が薄れ(黒川みどり『被差別部落認識の歴史―異化と同化の間』2021年、p.18)」ということが影響していると言えるのだそうです。
現代では多くのものがコントロールされ、私たちは自然さえもコントロールできるような気分にさえなります。しかし人が摂取する新しい情報は「そもそも恒常性からの乱れのようなもの(熊谷晋一郎『ひとりで苦しまないための「痛みの哲学」』2013年、p.24)」とも言えます。乱れから学ぶこと、そして突風を恐れる弟子たちと私たちは根本的に同じ弱さを持っています。コロナウイルスによって私たちの生活は大きく変化しました。「無理解な弟子たち」を私たちはどのように理解するのでしょうか。
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