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2022年2月13日説教要旨「いのちの神を信じる」

masuda4422020

マルコによる福音書 4章1~9節 桝田翔希牧師


災害などが起こった時、「それは神の罰である」ということがよく言われますが、コロナ禍にあってもそのような言説が見られました。日本の宗教観として「バチがあたる」ということではありますが、他者を一方的に断罪するようなこのような言い方にはあまり賛成できません。キリスト教の神は、意図にそぐわない「役に立たない」人間を排除する神なのでしょうか。

マルコによる福音書4章には「種をまく人のたとえ」とタイトルのつけられた箇所がありますが、この風景はミレーやゴッホが題材として描いており、有名な聖書箇所であります。この箇所の近くには、神の国が「種」に譬えられる話が多く、今回の箇所も「種=言葉・福音」と解釈することができます。しかし、原典では「種」という名詞は一度も使われておらず、あくまでも焦点が当てられているのは「種をまく人」であります。この箇所にある種の蒔き方は、現代で「ばらまき」と呼ばれる方法で今日も品種によっては使われる手法です。この方法では、どうしても意図しないところに種を落としてしまったりします。効率を重視するこの世的な価値観で見れば、収穫につながらないように思えるこぼれた種は「損失・ロス」のように感じてしまいます。しかし、「『ロス』に見えるものも含めて色々な要素が多様に影響しあって農業のサイクルに参加している(山口里子『イエスの譬え話2』2017年、p.59)」という側面もあり、鳥からすれば命をつなぐ恵みでもあります。人間の思惑だけで、神が創造した世界が回っているわけではないのです。

最近、「活」にまつわる造語に触れる機会が増えてきました。「婚活」や「就活」、「豚活(トンカツを食べること)」などの言葉は今までもありましたが、「朝活(朝の時間を有効活用すること)」、「寝活(効率的に眠って生産能力の向上をもくろむこと)」などの言葉があふれています。現代は「死んだり眠ったりするその瞬間に至るまで、その『能力』を『活用』し、活動的であることを期待される(堅田香緒里『生きるためのフェミニズム パンとバラと反資本主義』2021年、p.19)」ような社会で、「損失・ロス」はますます許されないようになっているのではないでしょうか。キリスト教の神は、意に沿わない人間を「損失」として切り捨てる神なのでしょうか。こぼれた種をも鳥の糧として用いられる神なのではないでしょうか。人間には損失やロスと思えることもすべてひっくるめて神が見守り、命の恵みを与えてくださる、苦難の時も幸福の時も私たちを見守り、生かしてくださる「命の神を信頼する(山口里子『イエスの譬え話2』2017年、p.73)」ものでありたいと思うのです。

 
 
 

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