top of page

2022年10月23日説教要旨「金と命」

masuda4422020

ルカによる福音書 12章14~41節 桝田翔希牧師


10月も終わりの頃となり、気温の変動が激しいですがいよいよ秋といった季節を迎えています。実家に住んでいたころは、田んぼに囲まれていましたので、稲の様子を見て秋を感じていましたが、一人暮らしをしてからは田んぼから遠いところにばかり住んでいるので、田んぼを通して秋を感じることが無くなりました。実家の近くには田んぼが多いので、カントリーエレベーターと呼ばれる施設がよくありました。これも尼崎に来てからはあまり見ない気がしますが、この施設は農協が米を乾燥・貯蔵・出荷する設備で、農家の仕事を軽減するもので、大きな利点がある設備です。

「愚かな金持ちのたとえ」とする聖書箇所では、豊作の恵みを受けた大金持ちがあれこれ考えるというたとえ話です。元々あった譬え話に、編集過程で導入と結論が追加されるという、ルカによる福音書によくある形として収録されています。金持ちの人は、収穫物が収めきれないので、新しい倉を作ります。どれほどの収穫量だったのかはわかりませんが、「畑(16節)」と訳されている言葉は、「コーラ」という単語で一枚二枚の畑というよりかは「地域」というような意味を持つ言葉で、大規模農場であったということが背景とされているようです。それ程の収穫量であれば、カントリーエレベーターほどの倉が必要だったかもしれません。これを収めるために金持ちの人はあれこれ考えます。この姿は私たちにとって、何ら不思議なものではありません。貯蓄をしてこれからに備えるということは多くの場合でなされます。しかしこの人は神の声により、「今夜、お前の命は取り上げられる。(20節)」と語られます。

「取り上げる」のは神のように読めてしまいますが、この単語は「三人称複数」で語られており、「行為の主語は(不特定の)『彼等』『人々(山口里子『イエスの譬え話』2018年、p.151)』」ということになります。補うならば「命が(彼らによって)取り上げられる」ということになります。彼等とはだれか、恐らくこの畑(地域)で働いていた労働者たちではないでしょうか。多くの人をこき使いながら、利益はすべて自分のものとして、自分のことしか考えない金持ちに対して、不満が募っていたのではないでしょうか。この金持ちは誰に相談するわけでもなく、一人で考え続けていました。しかし、多くの同労者がいたはずです。私たちは自らの功績を示そうとしてしまいます。しかし、神の恵みであることを忘れてはいけないのではないでしょうか。神の恵みを忘れた時、分かち合うことも忘れた時、その時に響いたのが「取り上げる」という神の声だったのではないでしょうか。

 
 
 

最新記事

すべて表示

2025年3月2日説教要旨「疑いの心」

マタイによる福音書 14章22~33節 桝田翔希牧師 礼拝当日は3月2日ですが、翌日の3月3日と言えば多くの人が「ひな祭り」を連想する日ではないでしょうか。しかしこの日にはもう一つ歴史的に大きな意味がある日で、1922年に全国水平社創立大会が行われた日です。大会で採択された...

2025年2月16日説教要旨「神の律法」

マタイによる福音書 5章17~20節 桝田翔希牧師 2月11日は【信教の“自由”を守る日】として守っています。「自由」ということについて、キリスト教の中のプロテスタント、そして更にその中の組合教会(会衆派)と呼ばれるグループでは「自由」という言葉がキーワードの一つとされてき...

2025年2月2日説教要旨「思い改めて」

マタイによる福音書 21章12~16節 桝田翔希牧師 この1週間、フジテレビの記者会見などがあり大変なことになっていますが、テレビや放送ということに関係して、私たちが普段扱うことのないような大きなお金が動いているということを感じました。また近年では、個人が動画を配信できるよ...

Comments


  • Facebook

©2021 by 日本基督教団 尼崎教会

bottom of page