クリスマスおめでとうございます。日本ではクリスマスが信仰の有無にかかわらず広く祝われるので、街を歩いていても様々な装飾を見ることができます。しかし、どこか商業主義的な雰囲気が強いものでもあります。教会でクリスマスを祝う時、私たちは聖書からどのようなみことばを聞くことができるのでしょうか。
今朝の聖書箇所は、イエスを身ごもったマリアが、洗礼者ヨハネを身ごもったエリサベトを訪ねる場面です。そして最後に「マリアの賛歌」と呼ばれる箇所が続きます。このマリアの賛歌はラテン語の最初の単語にちなみ「マニフィカート(あがめる)」とも呼ばれます。ギリシャ語では「メガルノー」という単語ですが、どちらも「あがめる」という意味のほかに「大きくする」という意味があります。「メガルノー」という単語は他の箇所ではあまり使われず、特徴的な意図をもって用いられた単語であります。小さいものを大きくする神の恵みがあがめられているのです。
マリアやエリサベトの物語を読むとき、私たちはイエスの生涯を知っていますから尊敬を持って読んでいると思います。マリアはキリスト教の中でも、重要な位置にある人物であるともいえます。しかし、未婚で身ごもったということ、「不妊」と呼ばれたエリサベトが身ごもったことは当時の地域共同体では数奇の目で見られたことでしょう。マリアは石打の刑に処される可能性さえありました。マリアとエリサベトは社会の中で抹殺されかねない存在でありました。このような危機的な状況で、マリアの賛歌は神を告白しているのです。これがクリスマスの出来事なのではないでしょうか。私たちもこの社会で、簡単に消される命があります。人間の価値観では小さいことこそ、神さまは守ってくださるということを信じ、ともにクリスマスを祝いましょう。
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