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2021年12月12日説教要旨「荒れ野からの声」

masuda4422020

マルコによる福音書 1章1~8節 桝田翔希牧師


コロナ下での2回目のクリスマスを迎えようとしています。昨年と比べると「恐怖感」は薄くなってきましたが、この2年間で私たちはコロナに関連して様々な事柄を経験し、激動の期間でありました。その中で「病」に対する偏見というものもありました。聖書にも病に対する偏見は見ることができますが、人間は長い歴史の中で何度もそのような偏見を持ってきたということに気づかされます。しかしそのような悲しい歴史は忘れられ、反省のないまま同じような悲劇が繰り返されます。

今朝の聖書箇所では、イエスの先駆者ともいえる「洗礼者ヨハネ」の活動が記録されています。ヨハネは「荒れ野」と呼ばれる場所でイエスという希望を語りました。そのヨハネは「らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め(6節)」るという服装をしていたとあります。これは旧約聖書に登場する預言者「エリヤ」の格好です。ヨハネの活動が、旧約聖書の歴史を絡めて描かれています。旧約聖書で「荒れ野」と言うと、出エジプの出来事が思い出されます。苦役を強いられたエジプトから、神に導かれて脱出した出来事は「希望」の物語です。旅の途中、神は人々に「マナ」を降らせ奇跡をもって食べ物を与えてくださいました。しかし、人々はマナでは満足できず、エジプトで食べていた肉や果物が恋しくなってしまいます。過去にとらわれ未来を見ることができない、奇跡的な「マナ」を前に神の力に気づくことができない人間の姿があります。マナの出来事は、「『なんだ、こんなもの』と言ってモーセを責め…(中略)…荒野に滅びた(池田裕『旧約聖書の世界』2001年)」歴史でありました。

人間は忙しさの中で、多くのことを忘れてしまう存在なのだと思います。病に対する偏見について考えた時、日本では長い間、ハンセン病に対する差別的な政策がありました。隔離政策などがされ、時には地域ぐるみで排除が行われました。現在では治療薬が多数開発され、多くの場合で治癒する病気となり、これからの時代に隔離政策がとられることはないでしょう。しかし、ハンセン病を差別し偏見を持つ温床となった考えを内包したまま社会は続いています。「差別が差別のまま忘れられようとしている」という言葉を聞いたことがありました。荒れ野で人間が神の業に気づけなかったように、私たちも身の回りの色々なことを忘れ去ってしまいます。コロナ下にあって病に対する偏見が起こりましたが、このことは人類が初めて経験することではなく、何度も繰り返されたことでした。そのような「荒れ野」の場所からヨハネは宣教を語りました。私たちはアドヴェントの内に、希望の光をどこに見出そうとしているのでしょうか。

 
 
 

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