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2021年10月24日説教要旨「頑固な心」

  • masuda4422020
  • 2021年10月23日
  • 読了時間: 2分

マルコによる福音書 10章2~12節 桝田翔希牧師

尼崎教会は「組合派」という伝統を持つ教会ですが、何か悩んだ時にその伝統とは何かということを考えるのは大切なことだと思います。しかし伝統を前に考えることをやめてしまったとき、それは単なる権威へと変わっていきます。伝統を前に私たちは繰り返し問われ、捉えなおしていくという姿勢が大切なのではないでしょうか。

マルコによる福音書の「離縁について教える」という箇所では、イエスがファリサイ派の人たちに、「離縁するのは律法にかなっているか」と問われています。ヘロデヤ宮殿に仕えた律法学者の多くは、ファリサイ派であったと言われています。律法の解釈は過激になり、守ることができない民衆も出るような状況になっていました。しかし一方で、ヘロデはヘロデヤという女性と結婚していましたが、ヘロデヤという人はもともとヘロデの兄弟と結婚していた人物でした。恣意的な離縁であったのか、このことを洗礼者ヨハネは告発し捕らえられ処刑されました。ここで宮殿の御用学者たちは何も言えなかったのです。権力や権威に親和性のある聖書解釈しかできなかったということです。それでいてイエスのことは批判し、苦しむ民衆のことも無視し、自分の地位が危ぶまれるようなことはしませんでした。自らを絶対化して、自らの正当性を主張する、そのような延長にあったのがイエスの十字架であったということです。

少し前になりますが、2018年京都で行われた大相撲のあいさつ中に倒れた人を救助しようとしたとき、「土俵は女人禁制」としたことが報道されました。記事を調べていると、相撲にあって女人禁制は「伝統」である、と書かれているものがありました。しかし、このような風習は1900年代初頭に生まれたもので、それまでは性別に関係のない相撲が盛んに行われていたそうです。「伝統」という権威を前に、私たちは考えることをやめてしまうということがよくあるように思います。そのような思考停止状態をイエスは批判されました。作られる伝統は、国家統一や地位向上のために用いられます。私たちはどの視点にいるのでしょうか。イエスの言葉に私たちは今も問われているのです。

 
 
 

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