マタイによる福音書 13章44~52節 桝田翔希牧師
コロナ下の中で生活上の多くの変化を私たちは経験しました。「コロナ」を境目に多くのことが転換しました。ルカによる福音書の研究で、「時の中心」という概念が提唱されたことがありました。これは、イエスは古い概念の終わりであると同時に、新しい概念の始まりであるという意味です。私たちはこの世的な意味で大きな変換点に生きていますが、イエスがもたらした変換点とはどのようなものであったのでしょうか。
この聖書箇所では、3つに加えてもう1つ、合わせて4つの譬え話が語られています。それぞれが神の国、神の支配による新しい世界を説明しています。その中の一つが真珠を買い求める商人というものです。この商人は見つけた真珠を買うために全財産を投げ出します。真珠を「福音」と解釈しますと、キリスト教に触れ一生をささげた人たちのことを思い浮かべます。しかし、すべての人がそのようにできるわけではありません。むしろ、聖書のことばを知りつつも、立ち止まってしまうことの方が多いかもしれません。すべてを捨てろと進められているようにも感じられる聖書箇所ではありますが、古いものが全く新しくなるというよりかは、「古いと思っていたものがイエスの到来により新しくなる」という意味なのかもしれません。
私たちは経済的に見れば、どんどん成長しようというような社会に生きています。ここ数年だけ見ても生活は大きく便利になりました。生活がどんどん大きくなる時代です。しかし多くの物を捨てるような、「なるべく小さく生きて(森まゆみ他『病と障害と、傍らにあった本。』2020年)」いくということも大切なのかもしれません。そう思うと、コロナ下の生活は多くのことが変わり「がまん」していることが多くあります。しかし、そこに喜びは少ないものです。イエスの到来による世の中の変革とは、自分のものをすべて売り払うこともいとわない喜びにあふれたものとして描かれています。イエスの譬え話を理解するとき、私たちの生活の中には不必要なものが多くあることに気づくのかもしれません。
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