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masuda4422020

2021年7月18日説教要旨「それでも言葉が」


 方言周縁論という学説があるということを最近知りました。大勢の人が住む地域を中心として、流行した言葉が長い時間をかけて同心円状に広がっていくというものです。例えば「カタツムリ」を指す言葉には、五重の円を見ることができると柳田邦夫は指摘しました。インターネットもテレビもなかった時代、言葉は人から人へとゆっくり広まっていったのだと思います。しかし、現代では信じられない速度で言葉が伝わります。今と昔では、言葉が持つ重みというのも違ったのではないかと思わされました。

 今回の聖書箇所では、軍隊の隊長である人が僕の病気を癒してほしいとイエスを訪ねます。軍人として権料を持った隊長であっても、中風(おそらく脳出血などで麻痺がおこった状態)の僕をどうすることもできませんでした。一人の人間として隣人の痛みに共感し、権力を捨ててイエスの前に進み出たのです。そのような百人隊長の姿を前に、イエスは言葉のみによって病気を癒しました。イエスの言葉が持つ力というものが、この箇所には描かれています。

 現代では多くの言葉が様々な媒体でやり取りされています。言葉にあふれた社会を私たちは生きています。そんな中で、言葉が無力になっていくような状況もあるのではないでしょうか。また、私たちが暮らす社会はどこかおかしいと思いながら、いろいろな言葉で社会を批判してみるものですがなかなか社会が変わりません。あきらめてしまいそうになります。しかし「この期に及んでなおも言葉の力を信じています(藤原辰史『言葉をもみほぐす』2021年)」という風に、言葉を信じるということが大切なのかもしれません。イエスは言葉だけでも病をいやしました。聖書に聞く私たちこそ、今一度言葉の力を信じあきらめない姿勢を持つべきなのではないでしょうか。

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